脚本家・演出家の矢島弘一 立ち位置は弱者の側に…〝書く〟は「僕の中のすべて」 舞台「オケピ!」に衝撃、家業を経営しながら演劇修行
「衝撃を受けました。いまだに覚えてますね。休憩の間、ずっとすごいものを見ているんだとショックを受けていたんです。で、自分が何でこの世界にいないんだと、何かかきたてられるものがあって。絶対、この世界に行きたいと思うようになったんです」
最初は演劇ではなく、ナレーションの学校に行き、結婚式の司会などをやっていた。もちろん会社をやりながら、二足のわらじだった。
「ナレーション学校の先生から、演劇を学んでみたらとアドバイスを受けて、29歳のときに俳優の学校に行ったんです」
そこで演技を学んだ後、50人ほどのキャパの小劇場の舞台に立つようになるが、満足できなかった。そこで自身で劇団を立ち上げるも、できたばかりの劇団に戯曲を書いてくれる人もなく、「最終的にやむなく自分で書き始めたってことです、簡単にいうと」。
とはいえ、いきなりうまくいくわけもなく、「4、5年前までは会社を経営しながら、自分もトラックを運転しながらなので、大変でしたよ。借金まみれでね。ただ親父にもタンカを切って演劇を始めたので、やめるわけにはいかない。自己破産寸前で会社を手放したんですが、当時TBSのドラマの打ち合わせを緑山のスタジオでしながら、税務署と電話でやりあっていました。恥ずかしい話ですが…」と明かす。
そんな苦労をしてきただけに、描く登場人物にも思い入れが強い。
「やっぱり弱い立場の人を書くことが多いですね。社会的な〝弱者〟という立場の人たちの味方になることを常に心がけています。一番、最初に考えるのは登場人物の人物像、キャラクターの履歴書です。そこから話は導かれていきますから」
では、彼にとって〝書く〟という作業はいったい何なのだろう。
「生きる術じゃないかな。趣味でもあり、遊びでもあり、生活でもあり、なんか仕事でもあり、僕の中のすべてかもしれない。子供との会話も役に立つんです。現在放送中の『バントマン』(フジテレビ系)でも、小4の息子との会話が生かされていますから」