阪神・鳥谷2000本安打達成の裏にあった引退覚悟と365日間続けた努力
今年、5月24日の巨人戦で吉川光夫の死球を顔面に受けて鼻骨を骨折。流血し、その場で倒れて動けないほどの重症だったが、不屈の闘志で、翌日から“バットマン”のようなフェイスガードを着用して連続試合出場を続けた姿はファンの感動を呼んだが、その鳥谷の強さを支えているものは、ボディビルダー顔負けの強靭な肉体を作りあげた努力である。鳥谷は、甲子園だけでなく、交流戦も含めて全国の遠征場所のすべてでトレーニングのできるジムを確保している。遠征に出れば、午前中にウエイトトレーニングを行う。2013年のWBC侍ジャパンのメンバーに選ばれた際には、サンフランシスコでもジムを探して午前6時からトレーニング。バッタリと出くわした、当時、侍ジャパンのコーチだった高代コーチを驚かせたことがある。 356日間、どこにいても、いつなんどきも、努力を怠らない。 実は、直線を走らせれば、あのレッドスター、赤星憲広氏より速かったという。 試合終了後も、体のケアには時間をかける。「お立ち台へ出てくるのが遅い」と、関係者に文句を言われたことがあったが、それも鳥谷流。 早大時代からトレーニングに目覚め、阪神では、練習後にもトレーニングを欠かさない金本監督の姿に触発された。広島から阪神に移籍してきた金本監督が、その現役時代に「阪神の中でプロとしての見込みがある」と、唯一認めていた選手が鳥谷だったという。 金本監督は、坂本の2ランホームランでホームインしてきた鳥谷をベンチ前で出迎えたとき、「まだ通過点。次は2500本安打を目指せ!」と檄と飛ばした。 金本監督の通算安打は2539本で歴代7位の記録。“自らを超えていけ”との檄である。ちなみに阪神生え抜きの歴代最多安打は、藤田平氏の2064本だ。 甲子園の室内練習場に設定された2000本安打会見で、鳥谷は次の目標を聞かれて、「数字を追うことはないが、毎日試合に出続けてチームの優勝という、2005年以来できていない目標に向かって、勝利に貢献できるように1本、1本を積み重ねていきたい」と、語った。 個人記録よりチーム貢献。結果を残して、試合に出続けることが何よりチームの力になる。鳥谷が貫くイズムを象徴するような2000本安打の晴れ舞台だった。