セックスはリスク?絶対に安全安心なんてないから…欲求と向き合うため必要なこと
「不健康」なものへの拒否感
30代も半ばを迎え、健康診断の結果がオールAとはいかなくなってきた。理由は明白で、食べることが大好きだからだ。幸い好き嫌いがないので野菜もたくさん食べるが、食事の判断軸が「健康的か」よりも「おいしそうか」になっている以上、食生活は偏りがちだ。診断結果に記された「リスク因子」「生活習慣の見直し」という文字は、「あなたは不健康な生活習慣を身につけていて、それは推奨されません」とドライに突きつけてくる。 【写真】辛酸なめ子がセルフプレジャーアイテムの店「TENGA LAND」で手にしたモノは この「不健康」とされる習慣は、誰に推奨されていないのか。もちろん測定数値を基にそう判断した医療機関で、判断自体まったく正しいのだが、その背景には「健康は“普遍的価値”だ」という現代社会の通念が横たわっている――そう指摘するのは、精神科医の熊代亨氏の著書『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス刊)である。 熊代氏いわく、現代の東京は世界でもまれなほど清潔で、秩序立った街だ。場所を選ばずたばこを吸う、大声でけんかを始めるといった行為は、昭和時代にはありふれていた。しかし現代ではとても少なくなり、あったとしても「迷惑行為」として後ろ指をさされる。 また、医療の発達によってさまざまな健康リスクが明かされ、個人で健康に気をつけるのが当たり前になってきた。健康診断の数値が良好な状態を維持したい人や決して良好とはいえない人に向けた「特定保健用食品(トクホ)」が人気となり、喫煙や飲酒は不健康なものとして、リスクや害の側面が際立ちつつある。 コミュニケーションについても、SNSの発達によって「見せたいものだけを見せる」「見たいものだけを見る」ことが可能になった。その結果なめらかで効率的なコミュニケーションが促され、場面にふさわしくない言動は徹底的に排除されるようになった。 みんなが行儀良くなり、道徳的なふるまいをして、前時代的な粗暴さがなくなっていく。それ自体は進歩であるし、生活を快適にしてくれる。しかし一方で、みんなが「健康的で清潔で、道徳的な秩序立ったふるまいをしなければならない」という呪縛をも生み出していないか、それは時に不自由を生み出さないか、というのが本書のおおまかな主張である。 だからといって「昔は良かった」と安直に言う本ではない。高度化された社会で、その恩恵を保ちつつも、新たに生まれた不自由さをどのように克服していくかを考えるための本だと受け取った。 性にまつわる仕事をする者として、私は本書に書かれた内容を日々実感している。 たとえばセックスは、他人の体にも心にも大きな影響を及ぼすコミュニケーションと言える。だからこそ暴力にもなり得るので、「性的同意を取ろう」「適切な知識で相手を傷つけない行動をしよう」という意識が増してきたのは、疑いなく良いことだ。 ただ現時点で100%確実な避妊方法はなく、他人が自分にとって予測不可能である以上、「絶対に安心安全でクリーンなセックス」はあり得ない。だからこそ互いが積極的に歩み寄り、最適解を探す必要があるのだが、その過程でコミュニケーショントラブル発生の可能性がある限り、現代社会ではセックス自体が「楽しいこと」ではなく単なる「リスク」と捉えられかねない。 以上を踏まえると、今や性行為自体が望まれないものだとすら感じられる。しかしプレジャーアイテム販売の現場からは、そうはうかがえない。 自分の性的欲求を認められずに苦しい思いをして、TENGA社の店舗に来て「自分もこういう欲求を抱いていいんだ」と涙を流す人。長年セックスレスに悩み、パートナーとの関係を模索する人。セックスをより良くしたいからこそ自分の気持ち良さを見つけようとする人。その切実な思いには、社会通念が変わっても残り続ける人間のありようが、確かに存在していると思うのだ。 人間の多様なあり方を守るためには、「コミュニケーションやディスカッションの灯が守られ、継承されなければならない」と本書では述べられている。快適さから一歩踏み出して、リスクをある程度まで許容しながら、自分の欲求と向き合い他者に己をひらく。そのようなふるまいを、まずは自分からできるようにしたいと思う。(株式会社 TENGA 国内コミュニケーションデザイン部マーケティングディレクター・西野芙美)