元ライバルが明かす…「藤井聡太を泣かせた男」伊藤匠七段の「超人伝説」
図鑑を丸暗記
「たっくん」「こーせー」と呼び合い、家族ぐるみの親しい間柄ではあったが、川島さんは「一般的な友だちとは違った」と振り返る。 「完全に敵として見ていました。絶対に倒してやろうと。最初は差があったと思いますが、少しずつ勝てるようになり、彼も僕のことを認めてくれるようになってきた。いつしかライバル関係になっていました。 振り返ると、将棋の会話以外したことがありません。伊藤七段とは家族を含めて一緒に食事をする機会もありましたが、そんなときでも2人でひたすら将棋を指していました。本当に仲がいいのか、よくわからないくらいでした(笑)」 川島さんは「いつか追いついてやる」と闘志を燃やす一方で、「なんだ、この子は。バケモノか」と畏れを感じることもあった。 「将棋の才能は言うまでもありませんが、根本的な頭の良さがズバ抜けていました。まず記憶力が異次元でした。羽生(善治)先生と渡辺(明)先生の竜王戦だったと思いますが、6、7歳という年齢でタイトル戦の将棋をすべて正確に覚えていて衝撃を受けました。 図鑑を丸暗記していたことや、公文に通っていたからなのか、計算など処理能力が異常に早かったことも印象に残っています。子どもながらにそもそも頭の構造が違うんだなと思ったものです。彼のお父さんは弁護士。そのDNAもあったのかもしれません」
すべての時間を将棋にささげていた
頭の良さに加え、子どもとは思えない集中力や将棋への熱量にも驚かされたという。 「どこがバケモノだったのか。一番は集中力です。小学生であれば対局中によそ見をするようなこともありますが、彼にはそうしたことが一度もなかった。1年生の頃からです。集中力に加えて、将棋にかける情熱の部分もケタ違いでした」 伊藤七段は研究熱心と評判だが、それは幼い頃からだった。 「自宅に泊まったときも驚きました。彼は夕食前のわずか5分の時間でも棋譜を並べていました。ゲームなど子どもが興味を示すようなことは経験していないはずです。リビングにあった本棚は将棋の本ばかりでした。生活に必要な時間以外はすべて将棋に捧げていた印象です。もちろん才能もすごいのですが、とんでもない努力をしているのだと目のあたりにして、『そりゃかなわないな』と思いました」 さらに『藤井聡太と伊藤匠を下して全国小学生大会を制覇…「もうひとりの天才」が振り返る「藤井少年が泣いた日」』では、伊藤少年が抱いていた藤井少年への強烈なライバル心などを紹介しています。
週刊現代(講談社)