「僕の考えているシティポップはもっと自由」――韓国人DJ兼プロデューサーのNight Tempoが築くボーダーレスな音楽の世界
最近のNight Tempoは、シティポップをめぐる言説に関しては、強めに語るようにしているという。その背景には、「シティポップ」という言葉を利用する人々と、Night Tempoの考え方と軋轢(あつれき)を生んでいる状況があるためだという。 そもそも彼の出自は、既存曲の音源をエディットしてビートを強化した「フューチャーファンク」や、レトロな映像などとセットになった「ヴェイパーウェイヴ」といった音楽だ。 「『何でもかんでもNight Tempoはかけてくれるんだろう』みたいな感じで変に期待されることもあります。でも、僕はフューチャーファンクとかヴェイパーウェイヴでずっと活動していて、そういうものを海外の人たちは全部シティポップとして考えています。一方で、日本の中では、ニューミュージックとかフォークソングとか、そういうものだけをシティポップと捉えていると思います」
「最初は昔のドラマとかをいろいろ見て、日本語を耳にしていました。僕が中学生や高校生のとき、日本のドラマがはやっていて。韓国では字幕も個人が作って、バラまいて一緒に共有して見たりしていました。でも、まだしゃべることはできなくて。外国人が日本語をしゃべったら、敬語のことを考えなかったり、間違った日本語を使っていたりして、外国人はテレビ番組に出たら『お笑い』みたいな感じになってるんですけど、僕はちゃんとした日本語を使いながら、自分が好きなものをちゃんとした形で取り扱いたいっていう気持ちがすごくありました」 J-POPとの出会いは10歳から12歳にかけてだという。 「もっとまじめに聴いたのは、ネットがつながったときからです。韓国では、2000年代に入ってネットを使えるようになりました」 そして、Night Tempoは80年代末から90年代頭の日本の歌謡曲、J-POPとの邂逅(かいこう)を果たす。 「やはり印象に残るのってWinkさんの曲とかオメガトライブの曲とか。オメガトライブでも、カルロス・トシキさんのオメガトライブの時代なんです。言葉はわからないから、声も楽器ですよね。当時アイドルみたいな歌手をやってた方たちの声って、日本人が聴くと『ちょっと下手』とか『あまり感情を込めてない』とか言われたりするんですけど、外国人が普通に何も知らずに聴くと、ノスタルジックで寂しい声に聴こえるんです」 音楽に目覚めたNight Tempoだったが、音楽を仕事にしたいと母親に言ったところ、殴られた経験も持つ。それについても、やはりあっさりとこう言うのだ。 「韓国では普通です。韓国は昔から、自分の子どもはちゃんとした職場でお金を稼いでほしいという気持ちがあるので。みんないい大学に行って、いい企業に入ってという感じの流れしかないんです。でも、海外のテレビに出てたりするから、今は母親も普通に応援してくれています。稼ぎもちゃんとした稼ぎになっているので、今はもう『始めたらちゃんと続けなさい』というぐらいには応援してくれて。たまに『いつ会社に戻るの?』と言ったりはするけど、でも反対はしてないです」 Night Tempoのリミックスは、海外の目を通した日本の歌謡曲の再評価をもたらした。決して音楽的な評価が高くなかったアーティストが見直されることにもなった。 「僕の選曲は、いろんな日本の音楽を聴いている外国人の意見をいろいろ収集しています。角松敏生さんの曲って、今はシティポップとして海外でも認められる音楽性だけど、昔はチャラい音楽として扱われていたという話も聞いたりしました」