福士蒼汰、松本まりか主演「湖の女たち」グロテスクな人間の業を重層的に描いた小説をよくぞまとめた! チャレンジングな役に挑んだ俳優たちと琵琶湖の美しさにゾクゾク
■グロテスクな人間を冷徹に見つめる自然の描写
ストーリーも構成も映画は原作通りで、小説のテーマもそのまま完璧にすくいあげられていた。多くの要素を持った群像劇のような構造でありながらとっちらかった印象を与えないのは、どのエピソードも、同じテーマに収斂していくからだ。 原作にしろ映画にしろ、読者/観客はここに描かれる出来事の中に、現実の事件がモデルになったものが複数あることに気づくだろう。血液製剤の薬害事件が最たるものだが、冤罪のくだりも看護助手に嘘の自白を強要した現実の冤罪事件を思い出す。また、実際に起きた大量殺人事件を想起させるニュースも作中に登場する。戦時中に満州で行われていた出来事も史実。そして、小説でも映画でも、与党の女性政治家が「子どもを産まないLGBTの人には生産性がない」と発言したという話が紹介され、これが物語の通奏低音となる。 どれもこれもおぞましい話で、しかもそれが現実に起きていることだと思うとおぞましさは2倍増し。そりゃ伊佐美もやさぐれるわ。戦時中の話と現在の話を重ねることで、人間はそのおぞましさを世代を超えて受け継いでいるのだと暗澹たる気持ちになる。そして、100歳の老人を介護する/殺すという行為も、命を顧みない戦争も薬害も、必死の捜査や取材が「上」の圧力でなかったことにされるのも、殺人事件の真相も、すべて「生産性」という同じところに行き着く。この物語は「生産性とは何か」をとことんおぞましい、グロテスクな人間の業として描いているのである。 そんな中、唯一モデルが存在しない、独立したエピソードとして描かれるのが濱中と豊田のインモラルな関係だ。生産性という点でいえば、ふたりの関係は物理的にも精神的にも何も生み出さない、どこへもつながらない関係である。だが、生産性も社会もまったく眼中になく、ただ自らの欲望だけで堕ちていくふたりは、そのグロテスクな世界の中にあって最も「生きている」ような気がしたのだった。 人間のグロテスクさの対比として描かれる琵琶湖の、あるいは満州の平房湖の、なんと美しいことか。伊佐美の「世界は美しいんか?」という呟きに答えるように、物語は冷酷なまでに美しい湖の姿を描き出す。映画の映像も素晴らしいが、それを文章のみで綴った原作も素晴らしいのでぜひお読みいただきたい。この奇跡のような美しい自然の中で、この湖に冷徹に見つめられて、人間はいつまで自分をグロテスクなままにしておくつもりだろう。 大矢博子 書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。 Book Bang編集部 新潮社
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