渋幕出身・皆藤愛子が語る中学受験「受験は楽しかった。でも、合格後に燃え尽きて成績“低空飛行期”に突入しました」
大学時代にお天気キャスターとしてテレビに登場するや否や、あっという間に人気者になったフリーアナウンサーの皆藤愛子さん。変わらないふんわりとやさしい笑顔で、テレビやラジオで活躍中です。小学生のころからアナウンサーに憧れていたという皆藤さん。中学受験の思い出や、渋谷教育学園幕張中学校・高等学校時代のエピソードを聞きました。さぞ「順風満帆」だったのではと思いきや、合格後はまさかの「キャラ変」も……。 ※後編に続く 【写真】貴重!中1のときの皆藤愛子さんはこちら ■学童代わりに行った塾で、受験に開眼! ――さっそくですが、どのような経緯で中学受験を決めたのか教えてください。 両親が共働きだったので、私はいつも家の鍵を持ち歩き、小学校3年生までは学童にも通っていたんです。 学校も学童も楽しくて、学童がある日は母が迎えに来ても「帰らない!」と言って困らせたくらいでした。ひとりっ子なので、学校や学童など「友達」がいるところでみんなとワイワイしていたかったんでしょうね。 学童は3年生までしかなかったので、4年生からは「学童の延長」のような感覚で、家の近くの塾に通うことにしました。そのときは「中学受験」というものがあることも知りませんでしたし、両親もまったく意識していなかったと思います。 ――塾での勉強はどうでしたか? それが、楽しかったんです! 学校とは違って学力に合わせてクラスを分けたり、しょっちゅうテストがあったりと「塾」というスタイルがとても新鮮で。私はもともと負けず嫌いというか、「目標」があると燃えるタイプ。「もっと上のクラスに行きたい!」と、勉強に見事にハマりました。 中学受験を決めたのは、小6の夏休みになんとなく参加した別の塾の夏期講習でした。それこそみんなでハチマキをして「がんばるぞ!」と先生も生徒も一丸になって勉強する。その雰囲気がもう、楽しくて楽しくて。このときに「私も中学受験をする!」と決めたんです。そこで転塾して、夏休み以降は家から少し離れた塾に電車で通いました。