山里亮太「最後の保険というか心の支え」お笑い芸人に猛反対の父の壁乗り越えた母の言葉と兄の「30万円」明かす
お笑いコンビ「南海キャンディーズ」の山里亮太(47)が7日放送のNHK総合「ファミリーヒストリー」(午後7時57分)に出演した。 番組では千葉県内に住む父・清美さんと母・文代さんにインタビュー。 高校で「盛り上げ隊長」として人気者になっていた山里は「ベタな思春期の子供の願望、何者かになりたい」という思いのもと、親友の勧めもあり、「大阪の大学に行って、吉本興業の養成所に通って、芸人になる」という決意を固め、両親に打ち明けた。 しかし、建設業界でまじめ一筋で生きてきた清美さんは「とんでもねえ。なんで芸人になるんだ。させないよ」と猛反対。 「途中で挫折したら何もできなくなるよという気がしたんですよね」と反対の理由を明かした清美さんの一方、文代さんは泣いている山里の部屋を開け、「亮太、泣くな。大阪に行ってこい」と後押ししてくれた。 さらにアシストしてくれたのが、「父はとにかく厳しかった。いつも怒られているイメージしかない。いまだに怖いというのはありますね」と振り返る兄・大樹さんだった。 大阪への受験費用として、自身がアルバイトして貯めた30万円を山里に手渡してくれた。 「(弟が)かわいいと言うのがあったんで。自分が持っていても使い道がないし、それで弟の何かの役に立つんだったら、ちょっとぐらい兄として応援してあげたいなという気持ちでした」と大樹さん。 妻と長男の説得に清美さんも折れ、「30歳までやりなさい。30歳までに芽が出なかったらあきらめなさい」という文代さんとの約束のもと、山里は関西大に進学。NSCにも入った。 最初に男性コンビを組んだ「足軽エンペラー」では芽が出なかったが、山崎静代と出会って、2003年に結成した「南海キャンディーズ」で27歳の時に「M―1グランプリ」準優勝を飾り、大ブレーク。人気者となった。 山里は「母の『泣くな』って言葉がなかったら、めそめそして、そのまま、あきらめていたと思います」と振り返ると「自分を追い詰めることなく、のびのびと、お笑いって仕事を全力でやればいいって日々を過ごさせてくれた。プレッシャーというよりも最後の保険というか、心の支えになってくれましたね。あの両親の間に生まれて心から良かったなと思いました」と家族に感謝した。 その上で最後に「ウチの相方、ウチの母と一文字違いなんですね。カネになる大女としか思ってなかった」と、「山崎静代」と母の旧名「山崎文代」の類似点に気づいて驚いていた。
報知新聞社