「医師」の「ベストセラー作家」が、「やりたいことが見つからない」と悩む人へ送った”意外なアドバイス”…!
「本当にやってるの? ねえ、本当に? 」
この話を編集者さんにしたら、 「中山さんが小説に向かうモチベーションは『レジリエンス』では到底表されない。異常なまでの執念。どうしてそんな熱量が保てるのか」 と言われた。正直に白状しよう。 僕は、先ほど話した初めて書いた本『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと』(幻冬舎新書)を出版した頃、ある一人の女性と友達になった。山下弘子という名前の、23歳の女性だった。 彼女は19歳で肝臓がんを患い、あわや死ぬ寸前というところで手術を受け救命されたのち、抗がん剤治療を受けていた。 僕は弘子ととても気が合い、仲良くなった。他の友人と一緒に富士山に登ったり、恋愛相談をしたり(僕が相談することが多かった)、食事をしたりしていた。お互いに兄貴分、妹分と呼び合い、恋愛関係になったことはない。たぶん、ウマが合ったのだ。 弘子は、がんが進行するにつれ、体調を悪くしていった。痛みや苦しみで泣きながら電話が来たことも1回や2回じゃない。弘子は、僕の本(一冊目のエッセイだ)を読んで電話でこう言った。 「この本には、来年死ぬと思って今やりたいことをやりなさいって書いてあるけど、じろゆー(彼女は当時、僕をこう呼んだ)は本当にやってるの? ねえ、本当に?」 何を言ってるんだ、やってるよ、とその場では答えた。 でも、本当に命懸けで治療をしている弘子に言われると、「でももう一度考えてみる」と言わざるを得なかった。それで、2週間の間必死に考えた。僕は三十数年生きてきて、医者になり、念願の本も出すことができた。で、来年死ぬとしたら、今どうしてもやりたいことってなんなんだろう。厳しい自問自答だ。 そうしたら、僕の心の奥底にある井戸のさらに奥、一番深いところから湧き上がってきたのが「小説を書きたい」だったのだ。
息を吸うように小説を書く
僕は正直言って驚いた。だって、そんなこと思ってもみなかったから。 海外に行きたいとか、小児科医になりたいとか、そういうことだとばかり予想していた。小説家になった今、雑誌のインタビューなんかで聞かれる。 「なぜ小説を書くんですか?」 僕は答えに窮する。「小説を書きたいから」より手前の理由がないからだ。 小説を書きたいから、小説を書いている。そうとしか答えられない。息が苦しいから息を吸う。腹が減ったから食べる。そういう原始的なレベルでの欲求なのだ、僕にとって小説を書くことは。 だから、幻冬舎の小木田順子さんにクソミソに言われても何度でもやったんだと思う。死ぬ前に早く書かないと、急がないと俺死んじゃうから! という気持ちだ。人から見たら執念なのだろうか。 僕が小説を書くのは、山下弘子への感謝の気持ちでもある。彼女が亡くなった今でも、書いている理由は、「弘子がああ言って、真剣に自問自答したら小説を書きたいと思ったから」なのだ。 なお、小説に出てくる若きがん患者の向日葵は弘子がモデルだ。彼女はヒマワリがよく似合ったので、漢字の向日葵をそのまま役名に使った。
中山 祐次郎(外科医、作家)