プロ初一軍マウンドに向かうドラ1右腕、カープ・常廣羽也斗が目指す『理想の投手像』
全日本大学野球選手権で大会MVPを獲得するなど、大学球界ナンバーワン右腕の評価でドラフト1位入団した常廣羽也斗。プロ1年目での一軍登板に向け、二軍でひたすらに技術とメンタルを磨き続けた。ついに一軍の舞台に立つ、ドラ1右腕の声を届ける。(取材は8月上旬) 【写真】堂林翔太のタオルを掲げ声援を送る三宅アナウンサー(写真:本人提供) ◆苦しさもあった大学時代。乗り越えてつかんだドラフト1位 ー大学は東都の名門・青山学院大に進学されます。 「東京六大学か東都などの大学野球が盛んな学校に行きたいと思っていたのですが、スポーツ推薦が来なかったんです。高校の先輩が青学にいたこともあり、監督さんから、青学のマネージャーに電話をしてもらい、練習に参加させていただくなど、ご縁もあり入学することになりました」 ー大学時代は“大学野球選手権大会”に出場し、4年時には常廣投手の活躍もあり優勝されました。 「最後にマウンドに立っていて、優勝投手になること、日本一を獲ることも初めての経験でした。そうなりたいと思いながら日々練習をしていたので、 あの瞬間はとても気持ち良かったですね」 ー同学年には、阪神からドラフト1位指名を受けた下村海翔投手がいます。彼の存在は大きかったですか? 「大きかったですね。僕が先発を投げるようになったのは、4年生からなのですが、下村は大学1年生の時から主戦で、先発で投げていて、 下村の姿をずっと見ながら練習してきました。尊敬できる部分がたくさんありましたし、こういう球を投げたいと思いながら練習していました」 ー常廣投手にとって、大学時代はどんな時間でしたか? 「最初の2年半はしんどいことがたくさんあって、なかなか試合に出られなかったり、 未熟さというか、自分に足りないものをたくさん思い知らされた期間でした。ただ、その分、3年秋からは、 一気に状態も良くなり、最後には先発を投げて優勝するという、出来過ぎたくらいに良い結果を残すことができました。2年半の辛い時期を乗り越えた先で、成功体験を味わうことができました。今後辛いことがあっても頑張る力を養えた時間だったと思います」 ープロ入りを意識されたのはいつ頃からだったのでしょうか? 「高校野球生活を終えて、大学で野球をすると決めた時に『プロ野球に行くために大学へ行こう』と思っていたので、その時がプロ野球を目指すことを意識した時ですね」 ー強い思いを持って入学されたのですね。 「そうですね、プロを目指さないのなら野球はもうしないと思っていましたし、『どうせやるなら一番上を目指してやろう』と思って4年間野球に取り組みました」 ードラフト当日はどのように過ごされていましたか? 「僕と下村と楽天に入団した、中島(大輔・ドラフト6位)の3人でいたので、リラックスできていましたが、中島はドキドしていましたね(笑)。指名していただいたら、インタビューはどういう話をしようかと、インタビューの練習をしたりしていました(笑)」 ー指名直後、新井貴浩監督とお話されたかと思いますが、どんな印象でしたか? 「テレビで拝見したイメージの人柄そのままというか、変わらない方でした」 ー森下暢仁投手と同郷ですが、お話はされましたか? 「キャンプの時にご飯に連れて行ってもらったり、練習でも結構声をかけていただきましたね」 ーこれからプロ野球の世界で、どんな投手を目指していきたいですか? 「少々球が甘くなっても、打者を圧倒できる球を投げられる投手を目指していきたいです。とにかく打たれないストレートを投げて、一軍で活躍できる投手を目指したいです」 ーシーズンは後半がスタートしました。一軍登板にも期待がかかると思いますが、今後の目標を聞かせてください。 「一軍に上がって勝つことが目標です。やはり結果が全てで、コーチの方々にも『一軍で投げないとプロ野球選手じゃない』と言われています。一軍を目指す中で、 やるべきこと、自分の課題の洗い出しをして、それらの解決策に取り組んでいくことで、早く一軍で結果を出せるように頑張りたいです」 ー最後に好きな言葉、大事にしている言葉があれば教えてください。 「『意地』ですね。やっぱり意地がないとできないというか、結局、技術とかいろいろありますが、その技術を向上するためには、 気持ちがないといけないと思っています。気持ちがあってこそ練習できたり、行動に移すことができると思っています。投球する上では球をリリースする“指先の意地”とか、最後は『意地』を出すことが大事だと思っているので大切にしています」
広島アスリートマガジン編集部