「原爆の父」オッペンハイマーの足跡をたどってみた、核兵器の始まりの地から晩年の島まで
米領バージン諸島セントジョン島「オッペンハイマー・ビーチ」
米領バージン諸島セントジョン島のホークスネスト湾の東岸、広い砂浜には、白い平らな建物が立っている。これはコミュニティセンターだが、数年前にハリケーンに流されるまで、小さな木造の小屋があった。1950年代に建てられたもので、ときどき物静かな男が妻や家族を連れてやってきては、ひっそりと使っていた。 そこは、晩年のオッペンハイマーが、自分の手で作り上げた世界の圧迫から逃れる場所だった。ホークスネスト湾は、オッペンハイマーと妻の遺灰がまかれた場所でもある。 現在、この場所は、地元の人に「オッペンハイマー・ビーチ」と呼ばれている。 オッペンハイマーはこの砂浜を歩きながら、政治家たちから遠く離れた場所で、日々伝えられる核軍拡競争のない世界を願ったのだろう。政治家たちは、オッペンハイマーの才能を爆弾作りに使ったあげく、彼がそれを後悔する発言をしてからは、攻撃の矛先を向けてきたとノーランの映画は描いている。 セントジョンの歴史家であるデビッド・ナイト氏の両親は、オッペンハイマーが不在のときに家の管理を任されていたという。ナイト氏はBBCの取材に対して、「この島では、だれもオッペンハイマーに嫌がらせをしなかったし、彼が何者だったのかをだれも知らず、気にすることもありませんでした」と言った。
文=BILL NEWCOTT/訳=鈴木和博