いじめられっ子から特撮ヒロインへ 52歳の元アイドル、転機はクラスで歌った演歌「ピタリとなくなった」
花島優子さんの「人生の選択」後編
1990年に放送された特撮コメディードラマのフジテレビ系『美少女仮面ポワトリン』。主演した花島優子さんは、アイドル、俳優として同作品でデビューを飾ったが、そのわずか5年後の95年に芸能界を電撃引退した。その後、イベント出演などはあったものの、事務所には所属せず、一般人として生活し芸能活動とは一線を画してきた。そんな中、アイドル時代の親友との再会をきっかけに今年7月、都内で行われたイベント『アイドルアーカイブス特別版~夏歌 乙女塾~』に出演。引退後初めて一夜限りの歌唱をファンの前で披露した。ENCOUNTは、引退から約30年たった花島さんにインタビュー。当時の活動エピソードや近況など2回にわたり紹介する。後編は「生い立ち、現在の活動について」。(取材・文=福嶋剛) 【写真】花島優子さんが作ったかわいい猫の羊毛フェルトや、30年前の貴重な宣材写真 花島さんは現在52歳。4人きょうだいの長女として茨城県牛久市に生まれた。歌の好きな母親と家で一緒に歌うのが子どもの頃からの楽しみだった。 「初めて告白するんですが、私は小学生の頃、いじめられっ子でした。同級生から“ばい菌”と呼ばれ、たたかれたり、上履きに画びょうを入れられたり、プリントをぐちゃぐちゃにされたり……言い返すこともできず辛い毎日を過ごしていました。そんな時、学校で自由発表の授業があり、私の班は、音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)風にヒット曲を順番に歌うという出し物に決まりました。そこで私は演歌を歌う担当になり、発表当日、私は演歌歌手っぽい服を家から持ってきて『氷雨』を歌いました」 歌った瞬間、クラスが静まり返り、「花島すごいじゃん」といういじめっ子たちの歓声が聞こえてきた。 「その日からピタリといじめが無くなりました。翌日からクラスで『歌って』と言われるようになり、『歌の影響力ってすごいんだな』と感じました。そして『いつか歌手になって私みたいな弱い子たちに勇気を与える人になりたい』と思うようになりました」 中学では演劇部で芝居を習い、高校に上がると学校中で注目される存在に。そして1990年、フジテレビ主催のタレント育成講座『乙女塾』に応募し、見事合格。アイドルの道が開けた。 「テレビで見ていたアイドルグループCoCoの宮前真樹ちゃんや同期の中嶋美智代ちゃんと仲良くなりましたが、『さあこれから』というタイミングで『美少女仮面ポワトリン』の撮影が始まり、みんなと一緒に歌う機会がなくなりました。私は、デビューして5年で芸能界を引退したので、唯一の後悔は、『みんなで歌えなかったこと』でした」 あれから約30年。花島さんに届いた一通の手紙が、思いもよらぬ活動につながった。 「引退してしばらく働いていた地元の不動産会社の店長さんから、私宛の手紙を受け取りました。とても優しい店長さんで、送り主の名前を見て、わざわざ私の家まで届けてくれたんです。その送り主とは乙女塾で一緒だった(宮前)真樹ちゃんでした」 宮前さんも引退後は芸能界から遠ざかっていたが、50歳を機に乙女塾の仲間たちと自主イベントを始めた。今回は花島さんと共演を果たすため、連絡先を探した末、以前務めていた会社にダメ元で手紙を送ってみたという。 「とっても丁寧なお手紙をいただきました。何より、連絡先が分からないのに必死に私を探してくれた真樹ちゃんの気持ちがうれしかったです。『乙女塾のイベントをやるから一緒に出て欲しい』という内容で、私も真樹ちゃんたちと会いたくて、すぐに『出ます』とお返事しました」