好きで好きで一緒になったから。介護の概念を超えた夫婦愛|宮川大助・花子の笑いと涙の闘病介護記【なにわ介護男子】
年をとる美学があるんじゃないか
大助:僕たちの漫才は今、ほとんど練習なしのぶっつけ本番やけど、あなたがすごいのは、舞台袖で若手の芸人たちさんと普通におしゃべりを楽しみながら舞台に向けて声をつくり、トーンを上げて、最終的に仕上げて堂々と出ていけるところ。4月のなんばグランド花月の2ステージでもそうやったなあ。僕は、若手の漫才を見ながら不安でたまらんかったけどね(笑)。 花子:その日の会見で大助くん、「僕たちは、座談会や放談みたいにゆったりしゃべれる『座・MANZAI』をやりたい」って言ってたけど、どんな思いを込めてるの? 大助:文字どおり「椅子に座ってやる漫才」という意味やけど、そこに込めている意味かあ。そうやなあ。あなたが車椅子に乗って、僕がそれを押して…というスタイルでいいじゃないか。そんな生き方を受け入れていこうよ、という意味も込めてる。誰だって老いていくんやし、これからますます高齢化社会になっていくでしょ。僕たちの肩肘張らない自然な姿から、幸せな夫婦のあり方や幸せな後期高齢者の生き方なんかが見えてきたらいいなあと思う。あなたといつも「年をとる美学というものがあるんじゃないかな」って話し合ってるやん。僕たちの漫才を通して「年をとる美学」を見せられたらいいなあ、と。 花子:ちょっとカッコよすぎるけどね(笑)。でも、そのとおりやと思う。私たちの人生をまるごと見せられたらいいな。それを笑いに変えて。 大助:うん。僕たちの漫才は、しめ縄にたとえるなら出雲大社のしめ縄級にデカいからね。夫婦としてのしめ縄も、ますます大きくなってるよ。 花子:「なにわ介護男子」のおかげです。 大助:このままいったら、宮川大助の没後、日本中の路地という路地に「大助如来」が建てられて、介護の仏様として祭られるんちゃう? 花子:そのときは、いの一番に拝ませていただきます。 大助:なんぼほど長生きするつもりやねん(笑)。 ◆多発性骨髄腫ってどんな病気ですか? 血液のがんのひとつです。血液細胞のひとつである「形質細胞」が、がん化して異常細胞(骨髄腫細胞)になることで起こるもの。「形質細胞」と言ってもピンとこないかもしれませんが、じつは、とても重要な役割を担っています。それは、体内に入ってきた病原菌やウイルスなどの異物と闘う「抗体」をつくることです。ところが、これががん化すると異物を攻撃する能力のない抗体(M蛋白)をつくり続けてしまう。多発性骨髄腫とは、体のあちこちの骨髄で異常な形質細胞(骨髄腫細胞)と、役に立たない抗体(M蛋白)が増え続け、全身でいろいろな悪さをする病気です。 ◆宮川大助・花子の人生劇場年表 1980年~1986年 数々の漫才コンクールや賞レースで新人賞・奨励賞を獲得。その人気を不動のものにする 1988年 花子 胃がんで手術・入院 2007年2月 大助 脳内出血で倒れて入院 2017年 大助 腰部脊柱管狭窄症で入院・手術、感染症で再入院・手術、グラム陽性菌敗血症で再々入院 2019年1月 花子 奈良県立医科大学附属病院にて多発性骨髄腫と診断される 2020年4月 花子 退院 2021年12月 奈良県生駒市・たけまるホールの寄席に夫婦で出演。2年半ぶりに舞台復帰 2022年4月 なんばグランド花月での吉本興業創業110周年特別公演にゲスト出演 2022年10月 花子 抗がん剤の副作用で肺に水がたまって心不全の状態となり、心臓カテーテル手術を受ける 2023年9月 花子 右の頭の骨に形質細胞腫が見つかり放射線治療のため入院 2024年4月 なんばグランド花月本公演に出演 * * * なにわ介護男子 著/宮川大助・花子 主婦の友社 1,650円 宮川大助・花子(みやがわだいすけ・はなこ) 夫婦漫才の第一人者。大助は1949年10月3日、鳥取県生まれ。会社員を経て、浪曲漫才の宮川左近に弟子入り。ガードマンの仕事をしながら100本の漫才台本を書く。漫才ではネタ作りとツッコミ担当。花子は1954年8月28日、大阪府生まれ。大阪府警に入庁後、チャンバラトリオに弟子入り。漫才ではボケ担当。76年に結婚、79年にコンビ結成。87年上方漫才大賞の大賞受賞。2011年文化庁芸術選奨 文部科学大臣賞 大衆芸能部門、17年紫綬褒章。19年12月、花子が自らのがんを公表。2023年5月に大阪・なんばグランド花月に復帰。徐々にステージやテレビ、ラジオ出演を増やしている。著書に『あわてず、あせらず、あきらめず』(主婦の友社)ほか。
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