死後36年がたつバスキア、その作品が世界にあふれるワケとは
ジャンミシェル・バスキアは1988年、27歳で死去した。彼の才能とその重要性はすでに世に認められていたが、いま考えられているほどの大きな存在になると予想していた人は当時、いなかったのではないだろうか──。 【画像】ジャンミシェル・バスキアとアンディ・ウォーホル オークションハウスのフィリップスが5月14日にニューヨークで開催した現代アート作品のオークションでは、1982年に制作された幅約2.4メートルのキャンバスに描かれた『Untitled (ELMAR)』が、過去最高額となる4650万ドル(約73億円)で落札された。 また、クリスティーズが同月に行った競売では、同じ1982年の作品『The Italian Version of Popeye has no Pork in his Diet』に、3000万ドル(約47億円)の値が付けられた。 バスキアの作品は美術館やギャラリーにとどまらず、Tシャツやトートバッグ、そして自宅にあるテレビの画面でも、見られるようになっている。サムスンは4月、超薄型テレビ「Frame」で提供しているアート作品のサブスクリプション・サービス「Art Store」に、新たにバスキアの12作品を追加したと発表した。 このデジタルサービスの利用料金は、年額49.90ドル(約7800円)。月額制なら毎月4.99ドル(約780円)となる(サムソン製以外のテレビでも、利用が可能)。2500点を超える作品が取りそろえられており、バスキアの作品はこのサービスで初めて、デジタル形式で公開されることとなった。 自宅に飾ることもできるようになったバスキアの作品には、カラーブロックが特徴的な後期の作品『King Zulu(キング・ズールー)』(1986)やアンディ・ウォーホルとの共同作品『Dos Cabezas(ドス・カベサス)』(1982)、バスキアが憧れていたジャズ・ミュージシャン、チャーリー・パーカーへのオマージュとして制作した『Bird on Money(お金の鳥)』(1982)などがある。 ■「商業化」の影響は? バスキアの作品の中には、「その脳内をのぞき見ることができる窓のようだ」と評されるものがある。人種差別や黒人の歴史、アメリカ文化、資本主義、そしてアメリカのポップ・カルチャーのオーナーシップと商業化に対するバスキア自身の思いなどが、表現されているとみられている。 バスキアが薬物の過剰摂取で死去したことを考えれば、無秩序に思える、未完成のようにも見える作品が、薬物の影響を受けていないとみるのは難しいが──。