最多勝エースが投げずに敗退したロッテの決断の是非
一方で、優勝経験のある某球団の元監督は、「私でも伊東監督と同じ決断をします。個人の記録というのも非常に大事なもの。そのことで他の選手がしらけてしまっていたのならまだしも、涌井に勝たせたいという気持ちでチームがまとまっていました。球数が増えて中4日で使えなかったのは誤算ですが、伊東監督のとった形は間違いではないでしょう」という意見を口にしていた。 タイトルは、後々まで歴史に残るし、タイトル料のインセンティブを結んでいる選手もいる。そのあたりを監督が配慮して選手の希望を受け入れるという考え方も無碍に否定はできないことも確か。年間を通じてローテーションに苦しむロッテ投手陣を支え、15勝9敗の数字を残した涌井の気持ちを大切にしてやりたいとの情が首脳陣に沸くのも理解できる。またチームメイトも、涌井のタイトル奪取を支持していた。 おそらく涌井が一番複雑な心境なのだろう。ひとつでも勝てば、17日に予定していた先発登板が回ってきただけに、心からチームの勝利を祈っていたと思う。 ただ、首脳陣の今回の選択に決定的に欠けていたのは、ファンの目線に立っていたのかどうかという考え方だ。ネットに書き込まれたロッテファンの意見を見ていると、「涌井に感謝している」という声もあるが、「チームプランを壊す選手がエースをやっている時点で負けだ」という批判的な見方もある。 レギュラーシーズンはソフトバンクに独走を許したが、5年周期のゴールデンイヤーと言われる年に“下克上”というチャンスがあった。それも西武との壮絶な3位争いに競り勝って手にした。その敗者復活戦をみすみす個人タイトルを優先して“放棄”することは、優勝を目指し、春から準備をして、ときには自己犠牲を払いながら一致団結して戦うチームスポーツの原則から逸脱していないのだろうか。タイトルを取らせるためにライバル打者を敬遠したり、試合出場を控えるなどの処置とは少し事情が違う。 涌井というエースを使わずにファイナルステージで敗退したロッテは、個人タイトルか、チームの勝利か、というプロ野球が抱える、ある種、永遠の命題に大きな問題提起をしてしまった。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)