アイドルから演歌歌手へ転身の苦楽…長山洋子「二度と音楽界に戻れないのでは?と葛藤しつつも受け入れた」
シングル「蜩」で演歌に転身するも、「こんなにしゃれた感じでいいの?」と不安だった
続いて演歌部門第4位は、演歌に転身後、初のシングル「蜩」(’93年)。TBS系の昼ドラマ「命の旅路」で前年末から主題歌として放送されてはいたものの、オリコン初登場25位とかなりの好発進で、誰もが驚いたのではないだろうか。 「アイドルから演歌路線になったという衝撃もあったんでしょうかね。自分は売れるかどうか意識する余裕もなく、(演歌転身のお披露目となる)全国7か所のコンベンションやキャンペーンを駆けまわっていました。徐々に、“今日はこんなにCDやカセットが売れた”という情報が増えてきたので、本当にありがたかったです」 「蜩」は、確かに演歌転身作だが、美しいバイオリンの音色から始まるイントロや、メランコリックなメロディーラインなど、昭和歌謡にも通じる親しみやすさが垣間見える。どうやってこの作品が選ばれたのだろうか。 「『蜩』は、演歌を出すにあたって、さまざまな作家の先生に10作品書いていただいたうちのひとつだったんです。10作品の中には2ndシングルの『海に降る雪』や、3rdシングルの『なみだ酒』も入っていたのですが、当時のプロデューサーが『蜩』を選んだのがとても意外でした。私はスケールの大きな『海に降る雪』や王道演歌の『なみだ酒』『めおと酒』など、“ああ、演歌ね!”と言われそうな、わかりやすい形で転身したかったんです。『蜩』は、“こんなにしゃれた感じだけどいいのかな……?”と不安でした」 しかし、その戦略が見事に功を奏し、自身最大のヒット(累計売上約42万枚)に。なお、「海に降る雪」「なみだ酒」「めおと酒」は、いずれも当時オリコンTOP40入りするヒット作となったが、今回のSpotify再生回数ランキングではTOP30圏外となっている。この結果から考えても、やはりこの「蜩」は演歌ファン以外も引き込む魅力が大きいのだろう。それにしても、「蜩」までCDリリースが止まっていた3年間、長山はどう過ごしていたのだろうか。 「その間も、たまにお声がかかって歌う仕事がありましたが、ドラマやミュージカル、時代劇など他の仕事をいろいろと頑張っていました。私は、もともとお芝居がド素人レベル(苦笑)だったのですが、80年代に音楽番組が徐々に減っていった時、バラエティーに進出するか、お芝居を勉強するかを迫られて。バラエティーはレギュラー的に出させてもらっているザ・ドリフターズさんの番組などに限定して、その分、お芝居をすることになったんです。でも、お芝居の面白さも分かってきたとはいえ、(最初の夢であった)演歌の世界には、いつ進めるのだろう……という想いがずっと心の片隅にありました。 そんな中で、平日は京都の時代劇の撮影、週末は東京のお仕事というパターンに慣れつつあった’92年の初めごろ、事務所のスタッフから“そろそろ演歌に進まないか”と言われ、“このタイミングで!?”とビックリしました。でも、“これを逃したら、私は二度と音楽界に戻れないのでは?”という葛藤もあり、受け入れたんです。だから、『蜩』で紅白歌合戦に出させていただけたのは、本当に嬉しかったです。出演は一度きりかと思ったら、また2年後に、♪でもね~(『捨てられて』)でカムバックできたんですよね」 さらに、演歌部門で気になる楽曲を尋ねてみると、 「『たてがみ』はステージで欠かさずに歌っている私の代表作(実際に累計売上25万枚以上、セールス的には3番手)なのに、ここでは27位なんですね……。あと『たてがみ』を作っていただいた影山時則先生とデュエットをさせていただいている『絆』(圏外)も大好きなんです」 どちらも、コブシが多用された長山の渋めの歌声が堪能できる昭和風の演歌ゆえ、コンサートでは定番であり、長山演歌のスタイルとしても確立している。 つまり、小学生で始めた三味線がベースとなっている立ち弾き演歌、アイドル時代の可憐な要素が含まれる歌謡曲風演歌、そして転身後に徐々に極めていった正統派演歌と、彼女が積み上げてきたキャリアが今の長山を支える3つの大きな軸となっているのが興味深い。そんな彼女のヒット曲のヒストリーを追ってみると、どんな経験も自分の糧になるのだということがわかってくるし、こちらも励まされる。 次回は、アイドル編と新曲「白神山地」について語ってもらおう。