ドーハの悲劇の映像「一生見ることはない」、サッカー日本代表・森保一監督が語る唯一の「後悔」
「小学6年生からサッカーだけをやるようになりました。それまではどちらかというと野球をやっていて、将来の夢はプロ野球選手だったけど、5年生の時にサッカーの指導をしている先生が赴任してきてやりはじめた」
小学6年で出場した少年サッカーの全国大会ではゴールキーパーを務めた。
「第4回全日本少年サッカー大会に出ましたけど、サッカーを始めたばっかりだから、めちゃくちゃ下手で。全国大会のメンバーに選ばれるような力はなかったんですけど、キーパーがけがをして、全国大会に間に合わないということで、なぜかそのままキーパーで県大会の予選をやって、全国大会まで行きました」
影響を受けた監督
高校卒業後、マツダサッカークラブ(現・サンフレッチェ広島)に入団。クラブで指揮を執っていたのが、後に日本代表監督になるハンス・オフト監督だった。
「『楽しく、厳しく』っていうのはすごくありました。あと、選手の適材適所を見極めてポジションを与える。ピッチの11人の役割を明確にするという印象を強く持っています」
監督としてオフトさんから受けた影響は大きい。
「いろいろな監督のいいところを吸収させてもらっているが、オフト監督からの影響は大きかったと思います。勝つために厳しくトレーニングはするけど、同時に『楽しくやろうよ』っていうところはオフトさんが教えてくれた。練習は1時間半ぐらいがマックスで、ただすっごいハード。新人の頃は体力がついていかず、クールダウンで走れなくなることもあった。怒られて、厳しく戦術的なことも言われるんだけど、いつも笑ってんの。『ハッハッハー』みたいな。『楽しく、厳しく』を体現してる人だなって当時を思い出しますね」
あの歴史的な試合
オフトさんはマツダSCの監督を退任後、日本代表監督に就任。森保さんもオフト・ジャパンでボランチとして定位置を勝ち取る。しかし、「ドーハの悲劇」の試合映像は今も見ていない。