戦没船員、残留日本兵――“戦争を知らない”天皇陛下の慰霊【皇室 a Moment】
この「戦没船員の碑」の敷地内には、上皇ご夫妻の歌碑があります。上皇后さまの歌は、激しい雨の中で行われた第1回追悼式を詠まれています。 ――その歌をご紹介します。
「かく濡れて遺族らと祈る 更にさらにひたぬれて 君ら逝(ゆ)き給ひしか」 <上皇后さま(当時 皇太子妃)1971(昭和46)年> 雨の中、海でぬれて亡くなっていった人たちのことを思う、という歌ですけれども、ぐっと胸に迫ってきますよね。
――この古い映像からは雨の様子というのがちょっと分かりづらいのですが、みなさん傘を差してレインコートも着ているような雨の中で、上皇ご夫妻は傘も差さずに花を供えられるという場面がありました。
そして冒頭に紹介したように、今年5月に天皇皇后両陛下は第50回の節目の追悼式に参列されました。もともと2020年(令和2)年に予定され、新型コロナで延期となっていたものです。両陛下は追悼式のあと、5人の遺族の話を聞き、これまでの苦労などをいたわられました。両陛下は高齢となった遺族が健やかに過ごされるよう願われているということです。 ――まだお若い皇太子時代の上皇ご夫妻が始められた戦没船員の方々への慰霊が、50年を経て今、天皇皇后両陛下に引き継がれているということですよね。
6月20日、ジャカルタ近郊の「カリバタ英雄墓地」で、両陛下は花を供えて拝礼されました。先の大戦後、旧宗主国のオランダとの独立戦争で亡くなった人たちが眠る墓地です。 私も現地で取材しましたが、手元の温度計で、気温32度、湿度60%、墓地のスロープは大理石が敷き詰められ、照り返しですごい熱気でした。 両陛下は慰霊塔に2分近く拝礼されました。あくまで独立戦争で亡くなったインドネシアの人たちの慰霊でしたが、この墓地には、先の大戦が終わった後も現地に残って独立戦争を戦った「残留日本兵」28人も眠っています。 900人以上に上ったとされる残留日本兵たちは、様々な事情で残り、インドネシアの独立のために戦いましたが、死亡・行方不明も6割に上るといいます。日本側から見れば、「脱走兵」「逃亡兵」、インドネシアから見れば「無国籍」「不法残留」の人たちで、独立戦争が終わっても長くインドネシア国籍が認められず、厳しい立場に置かれ続けました。