戦没船員、残留日本兵――“戦争を知らない”天皇陛下の慰霊【皇室 a Moment】
(元船員 都竹利年雄さん) 「毎日のように夢に出るんです、船友が。なんといいますか、船友と言っても、若い人が多いですね、特に私の船には少年船員が4人くらい乗っていたんです。まだね、それこそ声変わりしていないようなね」 ――都竹さんご自身も当時若くて17歳18歳くらいでいらしたと思うんですけれど、それよりも若い少年たちがいた。声変わり前の声で「助けて」と言ったのか「お父さん!」「お母さん!」と言ったのか・・・胸が痛みますね。ただ井上さん、こうした戦没者についてはあまり知られていないですよね。 それは次のような事情があるんですね。
(日本殉職船員顕彰会常務理事 岡本永興さん) 「沈められた事実については軍の機密ということで当時は国民の皆さんには伏せられたということですね」「兵隊さんはいろんな意味で亡くなっても戦死という形であがめられるんですけども、船員の場合はそういった形であがめられることはなかった」
■天皇ご一家3代に受け継がれる戦没船員の慰霊
確かに、“慰霊の夏”を迎えますと、亡くなった軍人や、原爆で亡くなった方々に目が向けられますけれど、「戦没船員」が取り上げられる機会はありません。 こうした戦没船員たちに加え、戦後に殉職した船員も慰霊する「戦没船員の碑」が、戦後25年以上たった1971年、浦賀水道を望む三浦半島・観音崎の公園内に建てられました。この年の5月、皇太子夫妻時代の上皇ご夫妻を迎えて第1回の追悼式が行われました。
1982年(昭和57)年には昭和天皇と香淳皇后が立ち寄っています。
いまの天皇陛下は皇太子時代の1990(平成2)年と翌年にお一人で、さらに94(平成4)年には皇后さまとお2人で追悼式に臨まれました。
そして、2000(平成12)年の「第30回追悼式」には上皇ご夫妻が出席し、上皇さまは、天皇として初めてお言葉を述べられました。 (上皇さま) 「ここに祀(まつ)られた船員が、碑の前に広がる果てしない海に抱いたであろうあこがれと、その海が不幸にもその人々が痛ましい最後を遂げた場所となったことを思う時、かけがえのない肉親を失った遺族や亡くなった船員と共に航海をした同僚の人々が抱き続けてきた深い悲しみが察せられます」 さらに上皇さまは、戦後の平和と繁栄が戦没船員を始めとする数知れない人々の尊い犠牲の上にあることを決して忘れてはならない、と強調されました。