「ベースを投げるか、スパイクを脱ぐか…」プロ野球審判員が34年間で見た「抗議パフォーマンスが面白すぎた」監督とは?
「退場!」――球審が人差し指を立てて腕を振るう勇姿は、プロ野球の“華”のひとつと言えよう。西武ライオンズで日本一6回の大監督・森祇晶でさえ、抗議からの退場処分に抗うことはできないのだ。また、ベースを引っこ抜いて投げ捨てるパフォーマンスで沸かせた、退場の“常連”監督もいた。ドタバタ退場劇の舞台裏を、元審判員がホンネで語る。本稿は、井野 修『プロ野球は、審判が9割 マスク越しに見た伝説の攻防』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 日本一6回の大監督・森祇晶が プロ35年目にして初の退場劇 森祇晶監督は、1986年からパ・リーグで西武監督を務め、9年間で8度のリーグ優勝、しかも日本一6度という球史に残る大監督です。セ・リーグの横浜では2001年3位、2002年最下位でした。 2001年8月16日のヤクルト-横浜戦(神宮球場)。延長12回表0対0。佐伯貴弘選手の打球をレフトのアレックス・ラミレス選手が前進、また前進して捕球。二塁塁審のジャッジは「ダイレクトキャッチ」でアウトでした。 「ヒットじゃないかよ!」。怒った佐伯選手は、神宮球場のレフト側の通路から、一度グラウンドをあとにしてしまいました。森監督が三塁側ダグアウトから出てきて言いました。 「ボールを見せろ。人工芝の緑色が付いているじゃないか」 「いつ付いた色かはっきりしません」 試合は28分中断。審判員のクルーにおける責任審判の私は言いました。 「監督、もう『捕った、捕らない』と、お互いの水かけ論です。お客さんをこれ以上待たせるわけにいきません。これ以上抗議を続けるのでしたら退場になりますよ」(編集部注/「遅延行為」の理由による退場処分における現在の目安は5分間) 「退場にできるものならしてみなさいよ」 そう言って、森監督は選手をダグアウトに引き揚げさせたのです。
結局、退場処分の理由は「審判員への侮辱行為」になりました。 森さんは現役選手、コーチ、監督を通じ、プロ野球ユニフォーム生活35年目にして初めての退場だったそうです。以来、会うたびにいつも言われます。 「アンタが俺を初めて退場にしたヤツやな」 「ああ、そうでしたか。光栄でございます(苦笑)」 ● プロ野球界の「元旦」である 開幕戦で放った禁断の宣告 2004年4月2日の開幕戦、巨人-阪神戦(東京ドーム)。あの「打撃の神様」川上哲治氏(元巨人)がユニフォーム姿で始球式のマウンドにのぼったのです。当時84歳でした(2013年没、享年93歳)。 この年から巨人は原辰徳監督に代わり堀内恒夫監督、阪神は星野仙一監督に代わり岡田彰布監督が就任。開幕投手は巨人が前年16勝の上原浩治投手、阪神が前年20勝の井川慶投手の両エース。いやがおうでも緊張感が高まる中で、試合は進行しました。 巨人の3対2で迎えた7回表、マイク・キンケード選手(阪神)が、球審の私の「ストライク・スリー(三振)」のコールに対して、面と向かって「XXXX」と言ったのです。私は「審判員への暴言」を理由に、退場処分にしました。 シーズン最初の試合である開幕戦は、言わばプロ野球界における「元旦」です。