東海林のり子と振り返る平成【後編】現場取材にピリオド 被災地で痛感したスタジオとの温度差
30年前の事件の教訓が活かされていない現実
この5月に85歳となる東海林。事件リポーターになって比較的初期の頃から、北炭夕張新炭鉱ガス突出事故をはじめ数々の過酷な現場を取材してきた。 「昭和、平成と取材を続けて、その数十年間というのが私を作っている。それがなかったら、もうちょっと違う人生だったかな。いま、親が子を虐待する事件がよく報じられていますが、昔もあったんですよ。子どもが泣き叫ぶ声を聞いたら通報する義務があるよね、というようなことはずっと言われていたんですけど、なかなか救うことができなくて。30年前にも児童相談所の人員が足りない問題とかがいっぱいあったんです。それ、ずーっと、そのまま平成になってから、一層大きな問題になりましたよね。30年前に取材したものが、事件の教訓が、まだまだ活かされていない。そのままズルズルときているんですよ」 そして時代は、令和になった。東海林には、新しくやりたいことがある。 「講談をやりたいのよ。神田松之丞さんが出てくる前から、講談をやりたかったの。つまり、声を使って何かをやりたいのね。でも歌は下手だからやらない。そこで、講談をやりたいなと。もう本当に、1日ってすぐ経っちゃうじゃないですか。いまは仕事もそれほど忙しくないし。そういうふうに、新しいことをやっていると、もうちょっと長生きできるのかな、なんて」 玉を転がすような笑い声が、いまだ美しい。 (取材・文・撮影:志和浩司)