虎のソナタ 球児維新で安芸フィーバー再び! 春季C沖縄移転で「死語」になりかけていたけど…
安芸キャンプフィーバー、再び! 古いトラ番記者にとっては、懐かしい響きだ。 早朝、トラ番サブキャップ・原田遼太郎からメールが届いた。 【写真】ベンチで談笑する阪神・岡田彰布前監督と藤川球児新監督 「第1駐車場は午前6時半に半分、7時には満車です!」 高知市の繁華街から車で東へ約1時間。安芸市で阪神が初めてキャンプを行ったのが1965年春のこと。球団首脳がキャンプ地移転を選手に説明した際に「映画館が2件、パチンコ店が2件しかない本当に小さな街」と付け加えた。ただし、食べ物は絶品だった、と当時の選手だった球団OBに聞いたことがある。 街は小さくても、人気球団のスターが、そこにいるから、ファンは駆け付けた。何度も安芸フィーバーは巻き起こる。 伝説として語り継がれているのは、小林繁が巨人からトレード移籍してきた79年春。江川卓のごり押し巨人入りの犠牲になったというドラマ性も加わって、ファンが殺到。高知市内と安芸市を結ぶ国道55号線の渋滞は、球場から高知空港まで続いたと語り継がれている。その距離、約25キロ。さすがにこれは大げさだと思う。が、それぐらいすごかったらしい。 人気者・新庄剛志が彗星(すいせい)のごとく登場した90年代。県外からも虎党が殺到したのは当然だが、安芸市内の女子中高生が学校をさぼって球場に集結した。巡回に来た学校の先生&逃げる女子たち。〝大捕物〟がタイガータウンの名物になった。 名将・野村克也がやってきた99年春。キャンプ地は身動きが取れないぐらいの人で埋まった。純金のノムさん人形が発売されるなど、空前の「ノムさんフィーバー」。ついにある日の入場者(球団発表)が史上初2万人超え(これも、どう考えても計算間違いだと思うが…)。 さらに3年後に闘将・星野仙一がやってきて、ノムさんの集客を超える仙さんフィーバー。ところが、その翌年の2003年から、春季キャンプは「沖縄・宜野座」に移転。当初は宜野座、安芸の2段階キャンプだったが、後に1軍は沖縄で1カ月を過ごすことに。 2軍だけは春の安芸キャンプを継続したが、昨年から沖縄に移ってしまい、今では春の安芸からタイガースは消えてしまった。安芸のフィーバーも「死語」になりかけていた。