入団していた可能性もあった中日との縁。立浪監督は信念と情熱がある真の野球人だ。必ずや優勝を狙えるチームとなるだろう【張本勲の喝!!】
中日ではなく東映へ
大豊[右]にアドバイスを送る筆者。写真は1993年2月の春季キャンプ[写真=BBM]
いよいよワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の開幕が迫ってきた。何度も言うように短期決戦、国際試合は勢いが大事で、その中で栗山英樹監督が起用法を含め、どのような采配を振るうかに注目している。とにかく選手諸君には日本代表として頑張ってもらいたい。およそ2週間に及ぶ戦いとなるが、日本球界のOBとして応援している。 さて、今回は巻頭の特集に合わせて中日ドラゴンズの話をしよう。私と中日は縁がある。もしかしたら中日のユニフォームを着ていた可能性もあったからだ。 私も高校3年生になると、プロのスカウトたちから声が掛かるようになったが、最終的に東映と中日の2球団に絞られた。生まれ故郷の広島からも誘いはあったようだが、途中で撤退したと聞いた。当時はまだドラフト会議がない時代。私の兄は中日のスカウト部長の人柄をとても信頼し、中日入りを勧めてくれた。契約金も東映の3倍ほどはあったと聞いている。 しかし私は中日ではなく、東映への入団を決めた。「名古屋」ではなく・・・
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週刊ベースボール