渋谷ハロウィーンの文化論──「騒乱・聖地・仮装」
秋の風物詩としてすっかり定着した感もあるハロウィーンが終わりました。さまざまな衣装に身を包んだ大勢の人々が街中を歩く姿を見るのはとても楽しいものです。しかし、特に東京・渋谷では年々、羽目を外しすぎて人や物を傷つけたり、街を汚したりする人々が問題視されるようにもなってきました。 著名人がハロウィン“バカ騒ぎ”のモザイク処理に違和感を表明 テレビ局の本音は? しかし、建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、限度はあるとしながらも、ハロウィーンの盛り上がりに管理社会の日常を打ち破ろうとする活気を見て取ります。さらにその中心である渋谷については、「行政や資本の力が及ばない文化的聖地の性格を持つ」と指摘します。ハロウィーンの大騒ぎから見えてくる現代という時代について、若山氏が論じます。
人間は魔法が好き
怪奇、面妖、滑稽。ハロウィーンの渋谷はさまざまな異装で盛り上がったようだ。 大いに結構。 とはいえ、自動車の上に飛び乗ったり、軽トラックを横転させるなど、ヤンチャという言葉では収まらない犯罪的な行為もあり、逮捕者も出ている。本場(?)アメリカと比較しての批判もあり、警察が甘く見られているという意見もあるようだ。 しかしこれは日本文化としてのハロウィーンであって、欧米と比較するのもどうか、日本の警察にはお巡りさんや交番といった親しみがあって、それで犯罪検挙率も低くないのだから、その寛容さを批判するのもどうかと思う。 入場料を取ることで管理責任が発生する主催者がいるわけではない自然発生的な集まりであるが、だからこそ管理社会の日常を打ち破る活気が出て盛り上がるのだ。もちろん一部の不埒な輩によって、他の参加者と周辺住民に多大な迷惑がかかるなら、ピンポイントで取り締まるべきだろう。 もともとヨーロッパの先住民ケルトの文化であり、欧米文化の基本としてのキリスト教との関係は薄い。むしろキリスト教という組織的論理的宗教(=ギリシャ思想と並ぶ地中海文明の基幹)からこぼれ落ちた、あるいは押さえつけられた、「魔女」や「お化け」、「お菓子をくれなきゃイタズラするぞ」という子供の無邪気さを中身とするところが、文明の裏返しとしての人間性を見るようで興味深い。 それは、今世界的な人気を得ている『ハリー・ポッター』シリーズや、『魔女の宅急便』、『もののけ姫』などのスタジオジブリのアニメーションにも通じるもので、過剰管理社会となりつつある現代日本の若者が「祭り」として盛り上げようとするのも理解できる。 人間は科学より魔法が好きなのだ。 内省してみれば自分も、魔法のような幸運を夢見ることがある。 ここでは渋谷ハロウィーン現象を、社会的な良し悪しではなく、「騒乱・聖地・仮装」という視点で、文化エッセイ風に論じたい。