渋谷ハロウィーンの文化論──「騒乱・聖地・仮装」
若者の騒乱
若者はエネルギーが余っている。大勢集まると集団心理が働いて、何をしでかすか分からない。 「エネルギー保存の法則」は、物理学で多くの問題を解決する強力なツール(原子力は別)だが、それに似て、若者のエネルギーは、無理に抑えつけようとしても、どこか別の吐け口に向かうから、むしろうまく放出した方がいい。どこの地にも伝統的な「祭り」がある。もちろんそこには宗教的な“いわれ“もあるのだが、その実態は、だいたいが「若者のエネルギーの消費」である。文化論的にいえば「過剰の蕩尽」という、J・バタイユの論理であり、日常はあるまじき粗暴な行為も、その時、その場所では許される。 しかし限度はある。 非行少年の暴走族も、学生運動の過激派も、カルト宗教団体も、ある程度までは大目に見られるが、社会秩序を乱し市民に危険を及ぼすとなれば、一挙に取り締まりの対象となる。逆らえば容赦なく武力制圧される。日本の警察は常に、社会が許容する限度の一線を考えて行動しているのだ。 渋谷のハロウィーンに集まった人々全体がその限度を超えるとは思えない。現代にこういう祭りはあっていい。それにしても、昨今の若者の集まりには政治性が感じられないのだが、これについては後に述べよう。
ネット社会の結節点としての聖地・渋谷
昔も今も、若者は集まることが好きだ。 現代はSNSがその情報網となっているが、やはりリアルの空間に集まりたい。そのためには「場所」が特定されなければならず、いつのまにか「渋谷という聖地」ができあがった。 サッカーW杯に日本代表の出場が決まったときも大きく盛り上がった。プロ野球で阪神が優勝したときは、心斎橋から道頓堀に飛び込む若者を止めるのに大阪府警が苦労する。オリンピックのメダル獲得者となると、国の行事だからか、銀座のパレードになる。同じスポーツでも、それぞれの性格によって聖地が異なっている。 外国人観光客は渋谷のスクランブル交差点で写真を撮るのが決まりのようだが、何が写るのかと首をひねる。 浅草なら雷門という絶好の被写体があるし、仲見世と浅草寺の伝統景観がある。表参道にはケヤキ並木と明治神宮があり、シャンゼリゼには凱旋門があり、天安門広場には門とその奥の宏大な故宮がある。ところが渋谷ではその場所にいる自分を写しているだけ。つまり宗教的政治的記念物のない、人間だけの、ネット社会の結節点としての聖地なのだ。 大正から昭和にかけて、銀座は、かつての日本橋に代わる一大繁華街となって、モガ・モボ(モダンガール・モダンボーイ)が闊歩した。ショーウィンドウには欧米から輸入された新しい商品が並べられ「舶来文化に憧れる若者の聖地」となった。 戦後、新宿が、鉄道沿線に発展した住宅と大学をバックグラウンドに、大学生の特に「学生運動の聖地」となった。10・21国際反戦デーの新宿騒乱、西口広場のフォークゲリラなど。ベトナム反戦と安保反対が重なって日本の大学は軒並みバリケード封鎖、学生たちはキャンパスにではなく新宿に集まったのだ。 そして学生運動が一段落するとともに、若者の聖地は、新宿から原宿へ、そして渋谷へと移っていった。山手線を南下しているので、次は恵比寿から目黒だという人もいる。その過程で「若者」のイメージも変化した。新宿時代に帯びていた強面の「反体制」的な性格は払拭され、その逆の「可愛い」という性格に転じた。反戦フォーク歌手に代わってアイドル歌手が人気を集める。 外国人観光客が渋谷を聖地とみなすのは、銀座や新宿にはない、日本独特の現代若者文化の匂いがするからであろう。 何にせよ、こういった文化的聖地は簡単に成立するものではない。行政の力も資本の力も及ばない「文化の力学」である。自然発生的にできあがった「場所の力」は大切にしたいものだ。