「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」(東京都美術館)開幕レポート。「不屈の情熱の軌跡」をたどる
東京・上野の東京都美術館で、画家・田中一村(1908~77)の大回顧展「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」が始まった。会期は12月1日まで。担当学芸員は中原淳行(東京都美術館学芸担当課長)、監修は松尾知子(千葉市美術館副館長)。 田中一村は栃木県出身。その画才から幼少期より神童と呼ばれ、1926年には18歳で東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学した。同期には東山魁夷、橋本明治らがいる。しかし2ヶ月余りで退学し、その後は独学で作品を制作。47年には第19回青龍社展に入選するも、その後は日展や院展に相次いで落選。画壇から離れて制作を行うようになり、58年、50歳にして鹿児島県・奄美大島へ移住。以降、亜熱帯の植物や鳥などを題材とした新たな日本画の世界を切り拓いてきた。 生前、作品発表の機会に恵まれなかった一村だが、没後の1984年に「日曜美術館」(NHK)で紹介されると、その名は全国に知られるようになった。2010年には「田中一村 新たなる全貌」が千葉市美術館、鹿児島市立美術館、田中一村記念美術館で開催され、大きな話題を呼んだ。また生誕110年となる18年には、「生誕110年 田中一村展」(佐川美術館)、「初公開 田中一村の絵画 ―奄美を愛した孤高の画家― 」(岡田美術館)、「生誕110年 奄美への路Ⅱ 田中一村展」 (田中一村記念美術館)などが開催。ジャポニスム2018の公式企画のひとつである「深みへー日本の美意識を求めてー」展(キュレーションは長谷川祐子)において、田中一村作品が海外で初公開されるなど、 再評価の機運が高まりを見せた。 本展は、一村が神童と呼ばれた時期から奄美の地で描かれた最晩年までの全貌を、田中一村記念美術館の所蔵品をはじめとする約250件以上の作品で紹介するもの。この数字は、これまでの東京都美術館企画展においてもっとも多い展示数だという。 東京都美術館の前身である東京府美術館の開館は、一村が東京美術学校を退学したのと同じ1926年。また、一村は生前、「最後は東京で個展を開いて、絵の決着をつけたい」と語っており、その言葉が実現するという意味でも重要な展覧会と言えよう。監修の松尾は、「14年前の展覧会以降でわかったことを全部を投入した」と、本展にかける意気込みをあらためて見せた。 膨大な作品が並ぶ会場は「第1章 若き南画家の活躍 東京時代」「第2章 千葉時代」「第3章 己の道 奄美へ」の3章構成。そのハイライトを見ていこう。
文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)