数で押し切る「平成の自民政治」が終わった…来年の国会は予算案から大荒れ、現実味帯びる参院選後の「ねじれ国会」
■ ようやく「平成の政治」が幕を下ろし「令和の政治」が始まる とはいえ、必ずしも悲観的になる必要もない。というのも、50回目の総選挙という節目を経て、ある意味ではようやく平成政治の名残と、2010年代から続く既定路線が幕を下ろしたからだ。 そして「令和の政治」というべき新しい政治がここから本格的に始まろうとしている。 もちろん良いことばかりではない。日本政界の先行きは見通し難くなり、短期的には不確実性が増すだろう。だが、同時に日本政治に真剣さと緊張感が帰ってくるはずだからだ。 国会審議もそうだ。数の論理に頼ることができなくなることから、議論は真剣味を増し、政府与党も今以上に国民の目、野党の目を気にするようになるはずで、与野党のそのことは長い目でみたときには好ましいといえる。 それだけに2014年、2017年に次いで戦後3番目の53.85%という特筆すべき低投票率は気になるところだ。 この間、低投票率は深刻さを増している。日本の選挙制度は罰金や公民権停止といった罰則がほとんど設けられておらず、権利的性質が強いことが特徴だが、半数近い有権者が投票にいかないことが常態化しており、選挙制度の根幹が問われている。主権者教育の次の一手が求められる。 既存政党の比例得票が減じている一方で、少数政党が大きく得票を伸ばしたことから、既存政党不信も背景にありそうだ。 既存政党不信は先の東京都知事選挙や同時に行われた都議会補選とも共通するように思われる。政治不信の払拭と複雑化する政策に対する国民の理解増進が焦眉の課題である。 報道と選挙啓発行政には有権者の関心惹起が求められ、前者には国民の理解を助ける丁寧な解説と、諸外国で実装されているリアルタイムファクトチェックやデータ分析と可視化のような新しい手法の試行錯誤が期待される。 激動の総選挙を経て日本政治の変化は終わったのではない。むしろ「令和の政治」は産声をあげたばかりなのだ。その行く末と改革の行き先を注視したい。
西田 亮介