梅宮辰夫さんのがん報道 長女アンナさん会見(全文2完)復帰は2カ月後予定
仕事の復帰予定について
記者1:もし分からなければ、辰夫さんはもしかしたら公表はしないご意向だったということもあるんですか。 【中継録画】梅宮辰夫さんのがん報道受け、長女の梅宮アンナさんが会見 梅宮:いや、今回、『週刊新潮』の方が、自宅にね、ピンポンを押しまして、来たんですね。で、それで、でももうやっぱり今、もう、大変な、一番大変な状態ではないので、もう元気に普通に歩いて、スクワットとかもやれるぐらいまでいってるので、今の、今だから言えた。 記者2:でも、お仕事復帰の予定は(※判別できず)。 梅宮:そうですね。もう、今年そうですね、もうあと2カ月ぐらいで完全に仕事に戻りたいと、はい。 記者2:じゃあ年末までにはお仕事に戻る。 梅宮:そうですね、もうやっぱり、元気になってまた一緒にね、テレビ出ようねって言ってるので、私も。 記者2:具体的な予定とかはもうあるんですか。 梅宮:そうですね、いや、まだないんですけど、とにかく一緒に仕事ができるようになりたいなと、私は思ってます。
父の命の危険に直面して、感じたことなど
記者2:ごめんなさい。2月とそれから今回と、もうちょっと本当に生死をさまよったぐらい大変な思いをして、それを乗り越えた、その支えになったものって、やっぱりご家族、なんでそんなに。 梅宮:そうですね、やっぱり、もう、まだやっぱり、まだまだやりたいことがやっぱりいっぱいあるんでしょうね。一応家族、まだどこかで、ね、やっぱり今父も、もちろん私たち、4人家族ですけど、やっぱりね、孫だったり、いろんな意味でね、まだまだ心配もありますし、とにかくまだ俺は逝けないって。 記者2:お母さまも心配なさったんじゃないですか。 梅宮:そうですね。母は本当にね、今回もこのたびももう、毎日ママは、家族みんなが、毎日交代、交代で病院に行って、まあ行ってたので、とにかくやっぱり大変ではありましたけど、こういうもんなんだなっていう。 記者1:ずっと、お父さまって元気だったじゃないですか。命の危険ということを初めて娘として、そんな状態のお父さまを看病して、何かあらためてお父さまに感じることってありますか。 梅宮:そうですね、ただもう10年ぐらい、この10年ぐらいは、基本私は、なんでしょう。もう、本当に今、78なので、やっぱり父の周りとか皆さんやっぱり、もう元気ではなかったり、もう他界してしまうお友達とか、そういうのをやっぱりずっとこの10年ぐらい見てたので、私は母から電話が、携帯に電話が鳴って、自分がちょっと離れてたりすると、父に何かあったかなって思うように、心構えは私はずっとしてるんですね。なので、ね、やっぱりそのときに何ももう考えないで、そのことも考えないで先のことも考えないでいると大変だなって思うので、そういう気持ちは、心構えは、心の準備というか、心の準備はもう、10年ぐらいしてますね、はい。 記者2:でも、あらためて。あ、大丈夫ですか。 梅宮:ごめんなさい。 記者2:あらためて、ちょっと弱ったお父さん、自分が支えていかなければみたいな思いっていうのは、どうですか。 梅宮:本当に病院に入院するときぐらい、結構いろんなスケジュールがありまして、父が参加するお仕事以外に、プライベートでいろいろなものがあったんですけど、ほぼ全部私が引き受けて、父の代わりに出席をずっとしてたんですね。なので、やっぱりしっかりしなきゃいけないなっていうのがものすごく感じましたね、はい。 記者2:そういう姿を見てお父さまもずいぶん頼りになさったんじゃないですか、じゃあ。 梅宮:いやあ、私ね、そう、いや、もう、そんなもう、うちのやっぱり父の代わりはできないんですけども、私なりに最善は尽くしました。