同意なき人事異動に訴訟リスク 最高裁判決が示した企業の説明責任
「青天のへきれきだ」。日本企業で働く会社員の多くが経験する突然の人事異動。悲喜こもごもの春の風物詩が過去のものになるかもしれない。そんな判決が4月末、最高裁判所で出された。職種限定で働いていたジョブ型雇用の従業員に対し、使用者は本人合意のない配置転換を命じる権利を持たないとする判決が出たのだ。 【関連画像】塩見弁護士は「配置転換にあたって、会社側は労働者側と丁寧なコミュニケーションを取るべきだ」と強調する。 訴訟は社会福祉法人の滋賀県福祉用具センター(滋賀県草津市)で車椅子などの福祉用具の開発部門に約18年間、技術職で勤めていた男性が起こした。使用者の滋賀県社会福祉協議会は、業務が減ったことを理由にこの部門を縮小し、男性に総務課へ配置転換を命じた。だが男性側は、書面の取り交わしはなかったものの、社協との間に職種を限定する合意があったと主張。配転命令は無効だとして、損害賠償を求めて提訴した。 ●書面の明示なくともジョブ型に この裁判では、特定の職種に限って働くことについて合意(職種限定合意)した労働者に対し、使用者が別の職種への配置転換(配転)を命じられるのかが争われた。一、二審は職種限定の合意を認めた一方で、配転は「解雇を回避するためで業務上の必要性があった」として「適法」と判断した。これに対して最高裁は、合意に反した配転命令は本人の同意がない限り「違法」とする判断を初めて示した。原告代理人の塩見卓也弁護士は「専門性のある職種に就く労働者にとって意義ある判決だ」と話す。他方で「職種限定採用の社員の業務がなくなった場合、使用者側が解雇を検討しやすくなるという見方もできる」(労働問題に詳しい竹花元弁護士)との声も聞かれた。 労働契約法では、労働者の労働条件は就業規則によるとしつつ、労働契約において労働者と使用者が就業規則の内容と異なる労働条件で合意していた部分については、就業規則よりも不利な内容でない限り、労働契約が優先するとしている。言い換えれば、「他の職種には就かせない」といった職種限定合意が労働契約書に明記されていれば、本人の個別の同意を得なければ職種変更などの配置転換ができなくなる。 今回の裁判のポイントは「黙示の職種限定合意」が認められた点にある。男性側は約18年間、同一の部署で勤務を続けていた。職種限定は書面で明示したものではなかったため、社協側も「職種限定採用ではなかった」と反論していた(4月27日付の京都新聞朝刊)。それでも、裁判では同じ仕事内容が長く継続している状況や男性が溶接のできる唯一の技師であったことなどから「黙示の職種限定合意」の存在が認められた。 会社は配置転換について就業規則に定めることで、その権限が認められる。ただ、職種限定の合意があったと裁判で認められた場合は労働者の合意なく配置転換をすることは難しい。この訴訟では、配転命令の権限がそもそも存在しないと判断された。 労働法制に詳しい堀田陽平弁護士は、黙示の職種限定合意が認められるには「①専門性②採用の経緯③勤務期間の3つがポイントになる」と解説する。例えば、専門職で中途採用され、10年以上同じ仕事に従事している場合は、書面で明示されていなくても職種限定がなされていたと認められる可能性がある。 ●透明性ある説明を 従業員の配置転換への配慮の必要性はジョブ型雇用に限らない。4月、労働基準法施行規則などが改正され、雇用主による就労条件の明示義務が強化された。これまで労働条件通知書には入社時点の業務や勤務地のみを記すケースが多かったが、将来就く可能性のある職務内容や就業場所の変更範囲を明示することが義務となった。 例えば、エリア限定採用の場合、変更の範囲となる地域を記す必要がある。ただ従来の総合職のように「会社の定める業務」「会社の定める場所」などと広範な表現をすることも認められている。 一方でそういった不透明なキャリアの明示は人材の確保に悪影響をもたらす恐れがある。「配属ガチャ」といった言葉の広がりに代表されるように、近年の新卒採用において学生は企業への帰属意識より自身のキャリア形成を優先する傾向が強くなっている。就職情報会社キャリタス(旧ディスコ、東京・文京)が2023年10月に実施した調査によると、職種別採用を導入している企業は62.5%と過去10年で最高だった。キャリタスリサーチの松本あゆみ研究員は「配属先の確約は学生にとって入社後の仕事のイメージを持ちやすく意欲の向上につながる」と話す。 企業側にもミスマッチを防ぐため入社後の配属先を確約する動きが広がっている。東京海上日動火災保険は25年卒の新卒採用で、首都圏エリアの営業や損害サービス部門など入社後の初期配属を確約するコース別採用を始めた。人材サービス大手のエン・ジャパンもコース別採用を導入している。同社は4種類の総合職採用コースとコピーライターに採用ルートを分けている。 ただし、2社の事例とも、将来的なジョブローテーションはある。エン・ジャパンについては専門性の高いコピーライター職のみ、「職種限定の合意をしている」(広報担当者)と明かしたが、企画やコンサルなど入社時の配属を決めている総合職4コースについては将来的な職種変更があるという。 あいおいニッセイ同和損害保険はデータサイエンティスト、サイバーセキュリティー人材などの専門的な業務を行う人材を「専門社員」とする制度を23年から導入している。ただし、専門社員は1年更新で、総合職に当たる「基幹社員」への転換の可能性もあることから「職種限定合意は行っていない」(同社広報)という。 人事異動は最適な人材配置だけでなく、長期で人材を育成する目的もある。辞令1枚で従業員を動かせる時代は終わりに向かっている中、企業側が従業員1人ひとりのキャリアや生活に向き合い、丁寧に説明することの重要性は増していくだろう。