自信満々に断言されると「嘘でも信じてしまう」理由 生成AIの「もっともらしい」誤回答にも要注意
後日、請求書が届きました。 そこに書かれていたのは、数十万円という金額でした。さすがにおかしいと思い、保険会社に確認すると、私が「ありとあらゆるところ」をぶつけたことになっていました。女性は、自分の車についた傷のすべてを、私の保険で修理しようとしたのです。 怒りも湧いてきましたし、また正義感に火がついたこともあって、専門家に調査を依頼することにしました。 すると驚いたことに、「そもそも私はぶつけていない」ということがわかったのです。私の車が当たったならばついているはずの塗料が見られなかったこと、私の車には傷がなかったこと、そして車同士の角度から、最初に女性が指摘した傷は、私の車がつけることは不可能、という結果でした。
その女性の、あまりに確信的な発言に影響されて、自分の「ぶつけていないはず」という記憶を疑ってしまった。「記憶のすり替え」が、まさに自分自身に起こったわけです。 ■なぜ記憶はすり替えられてしまったのか 思い返せばとても風の強い日で、風で車が揺れ、それを相手は「ぶつけられた」と思った。私も「ぶつけたかもしれない」と思ったのかもしれません。 そんな中、確信を持って「ぶつけられた!」と言った女性の言い分で、「事実」がつくられていきました。
世の中ではこのように、「断言したもの勝ち」「自分の記憶が正しいと信じられた人の勝ち」ということが、日々起こっているのだと思います。 自分の記憶があやふやだと、自信満々に「こうだった!」と言う人に押し切られてしまうことは十分あり得ます。 きっとこういうことを経験している人が意外に多いからこそ、近年はドライブレコーダーで全方向を録画する方が増えているのでしょう。私自身もすぐに購入しました。 たとえ両者に悪意がなかったとしても、互いが自分の「記憶」に基づいて「ぶつけられた」「ぶつけていない」と主張したら、議論が平行線をたどるのは当然です。