今村翔吾はウクライナ戦争を予知していた?「絵空事じゃないか」と葛藤しながら書き上げたものとは。『海を破る者』インタビュー
「信じたい」という欲求があるからこそ「繋がれる」
――結末の着想は、史実として残っている「河野の後築地(うしろついじ)」からでしょうか? 河野家は最も危険な最前線に陣を張った軍団ということで、当時の人々から「なんて勇敢なんだ」と賞賛されました。 しかし本作で、今村さんは全く違う解釈をされています。「戦うため」ではなく「戦わないで済むように、敵軍と対話するため」最前線に陣を張ったわけですが、この発想はどうして生まれたのでしょうか? 厳密に言うと、なんで後築地をやったのかは不明。周囲が勝手に「アイツは戦いたいから行った」「それってすごい勇敢だよね」という説が残ってるけど、実際、六郎の真意は定かじゃないんです。 それはそれでリスクも高過ぎるし、別の意図があったんだとしたら、何だろうと考えた結果、僕はこれしかないなぁと。一番前に行くことは、一番に戦うこともできるけど、違うこともできるよね……と思ったのがきっかけです。 ――その設定は書く前からありましたか? ありました。その結末が構想であったからこそ、六郎という人間は「こうだ」と決まってました。 2016年の短編で書いた時は、今読み返しても、おかしいなって思うんです。六郎という人物が、戦うんじゃなくて対話しようという考え方に至るまでの原因とか時間がどうしても必要なはずだった。今回長編を書くにあたり、六郎がそういう人物になるよう逆算していった時、令那や繁の物語が立ち上がってきたって感じですかね。
――六郎が「争い」ではなく「戦わないこと」を夢見るようになったのは、令那や繁の影響がかなり強いと感じました。ただ、親族の影響もあるのではないでしょうか? 六郎の一族は、血で血を洗う骨肉の争いをしていますよね。 河野の一族って、かなりエグイくらいもめてますね。 でも僕は、順風満帆な家だからこそ人を信じられるんじゃなくて、信じられなくなった人こそ、「信じたい」という欲求があって、だからこそ「繋がれる」と思ってます。そういう経験をしてきた六郎だからこそ、(結末のような)行動が出来たんです。