《ブラジル》寄稿=DELFIM NETTO氏を悼むー元通訳の回想=サンパウロ大学法学部シニア・プロフェッサー・二宮正人
訪日する度に百万円単位で神田の古本を買い漁る稀有な図書収集家
また、デルフィン・ネット氏は稀有な図書収集家としても知られており、あまりにも多くなった図書の重量のため、サンパウロ市内のマンションの床が抜けそうになったとのことで、急ぎ郊外の別荘に大部分を移したことがあった。亡くなる数年前に25万冊ともいわれた蔵書をサンパウロ大学に寄贈したが、大学当局は新たな図書館の建物を新設してその収納にあてたこともニュースになった。 実は、私はその1%ほどの図書の購入のお手伝いをした思い出がある。訪日するたびに、多忙な日程の中で、ある日の午後は必ず神田の洋書専門の古書店「崇文荘」に足を運び、数時間を費やすことを常としていた。デルフィン・ネット氏はニューヨーク、ロンドン、パリの古書店にすべて足を運んだが、日本の古書店が最も品数をそろえ、清潔に整理されていると褒めていた。 思えば、日本の学者、研究者は海外に留学した際や、国内においても洋書を購入して熟読し、論文を執筆することを常としていた。1980年代ごろまで洋書輸入専門店は独自の為替レートを導入しており、現在のように直接輸入はできないシステムになっていた。 それらの教授が亡くなると、かつては所属していた大学が遺族から寄贈を受けていたり、買い取っていたこともあったそうである。しかし、現在ではどこもスペースの問題で受け入れはできなくなっている。そこで、ご遺族は研究者や大学院生に寄贈したり、あるいは古書店を呼んで引き取らせるが、多くの場合に支払われる金額は二束三文であると聞いている。 デルフィン・ネット氏は一回に100万円、200万円と言った買い方をし、何箱もの梱包を作成させ、かつてパレスホテルの地上階におかれていたVARIGブラジル航空の事務所に運ばせ、帰国する際の乗機に積み込ませていた。傍でみていると、経済学、特にマルクス経済学、社会学等の洋書が多く、ある時「何故、専門外のマル経の本を多く買うのか」と聞いてみると、「敵の手の内を知るためだ」とのことであった。また、いったいこれだけの本を買い込んで、「いつ読むのか」と聞いたところ、「時間がなくて読む暇などないが、将来サンパウロ大学に寄贈するのだ」と答えていた。事情を知る者にとって、亡くなる前に寄贈が実現したことを嬉しく思った次第である。 デルフィン・ネット氏は、まつ毛が皮膚にくいこむとかで、サンタクルス日本病院の眼科に足しげく通い、その応対を常に褒めており、友人知己にPRしていた。日本食については、残念ながら醬油味を好まないとのことで、訪日した際に多くの食事の招待があった中で、常にフランスかイタリア料理を選択していた。 人間の評価は棺を覆って定まる、と言われているが、デルフィン・ネット氏は、96歳で天寿を全うした際、かつての同輩や教え子のみならず、政敵もその死を悼んでいたことは特筆に値する。 合掌
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