「気に入らん部分は目をつむるの」。103歳の哲代おばあちゃんが語る、夫婦が添い遂げる秘訣
広島県尾道市で一人暮らしをしている石井哲代さんは、現在なんと104歳! 2023年にはその暮らしぶりをまとめた書籍が感動を呼び、一躍全国の人気者になりました。今回ご紹介する『103歳、名言だらけ。なーんちゃって 哲代おばあちゃんの長う生きてきたからわかること』は、その続編となる一冊。「体は思うように動かんけれど、心だけは自由です」と語る103歳(出版時)の哲代おばあちゃんが、2003年に旅立った夫・良英さんとの思い出を振り返りながら語る「夫婦円満の秘訣」とは――? 今回は本書から特別に一部抜粋してご紹介します。
相手の長所は近くから、短所は遠くから見る
勤め先の小学校の同僚だった石井良英さん(2003年に死去)と結婚したのは1946年のことです。夫婦ともに小学校の先生でした。20年前に良英さんは他界。哲代さんの枕元にはいつも、夫の写真が置いてあります。 「山あり谷ありでございました」 哲代さんは夫婦の時間を懐かしそうに振り返ります。職場には真っ先に出勤して、よう仕事をする人でした。教師として尊敬しておりました。家に帰ったら農作業も一生懸命でね。愚痴なんか聞いたことはなかったです。 人としてようモテとったじゃろうと思います。「わしが大将」という豪快な人でみんなと飲み歩いた後、うちにもよう連れてきちゃった。同僚の先生が10人以上来られたこともあるん。女の先生もおってケチャケチャおしゃべりしてね。こっちは台所に立ちっ放しでもてなして、片付けも全部するんですから。わたくしも女の先生だよって言いたくなりました(笑)。 感謝の言葉がああったか? 何があろうに。あはは。哲代のおかげじゃとか言うようなことがあったら世の中がひっくり返るでしょうよ。亭主関白を地でいくような人でした。それだけに夫のちょっとした気配りがうれしかったんです。
「私も若いころは何度か家出を決意したんです」
いつだったか電気釜が出始めたころ、一番に買ってきてくれちゃったの。「これでご飯を炊けば早かろうが。起きんでいいけん、らくになろう」って。そのときは「えっ」てびっくりしたんです。それまでは朝早く起きて台所のおくどさん(かまど)に火を入れて朝食とお弁当用のご飯を炊いていましたから。私、その電気釜をどこに置いたと思う? 枕元でございます。寝間の柱のコンセントに差してね。明け方に布団から手を伸ばしてスイッチを入れて二度寝するの。炊き上がったら起きるんです。 横着もんだと思うでしょう? 本当は良英さんが私のために買ってきてくれたんがうれしかったん。じゃから「助かるわぁ、うれしいわぁ」って伝えたかったんですね。良英さんのちょっとした優しさをすごく大きく喜んでおりました。私も単純なんでございます。 ええとこはしっかり見てあげて、気に入らん部分は目をつむるの。それが夫婦が添い遂げる秘訣かも分かりません。なーんちゃって。 でもね、私も若いころは何度か家出を決意したんです。給料がおおかた飲み代に消えるんじゃから、そりゃあ苦労しておりました。 師範学校のときの友達を当てにして深(三原市深町)のバス停まで行くんじゃが、結局戻るんです。とぼとぼと。だらしないですねえ。毎回、未遂に終わっとるんです。たんか切って出るわけではないけども、「もう出て行きます!」って顔して出とるのに、どの顔で帰られようかと思ってねえ。 もうこの人とはやっとられんと腹を立てても、私がいないとこの人は飢え死にするんじゃないか、守らにゃいけんって思い直すんですね。離れた場所で生まれたもん同士がこうして出会わせてもろうたんじゃから。夫婦は腐れ縁と思うようにしておりました。なあ、良英さん。