「ウクライナ軍として配備されていたら、プーチンは侵攻したやろか?」トルコにオランダ…友好国の海軍を見て不肖・宮嶋に浮かんだ“ある思い”
日本のメディアではほとんど報道されなかった美談
さらにや、なぜか日本で全然報道されんかった美談がある。1999年8月トルコ北西部でM7.4の地震が発生、最も被害の大きかった町の名をとり、イズミト地震と呼ばれ、死者約1万7000人、負傷約4万4000人、約60万人が家を失う大災害であった。日本政府はその4年前発生した阪神淡路大震災で被災した神戸市民のために使用していた仮設住宅500戸を被災地に送るべく神戸からイスタンブールまで海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」、掃海母艦「ぶんご」、補給艦「ときわ」を派遣した。不肖・宮嶋もその航海に、エジプト、アレキサンドリア港からイスタンブールまで同乗したが目的地のイスタンブールや被災地のイズミトでは大歓迎を受けたのはいうまでもないんやが、それを報じた日本のメディアはほとんどなく、同乗取材したのは不肖・宮嶋のほか防衛ホームの記者1人だけであった。この美談の裏には隠れた悲話もあった。海上自衛隊の艦艇が他国海軍に比べ、むちゃくちゃきれいなのはよく知られているが、この航海では神戸の仮設をコンパクトに折りたたみ500戸も積み込んだまでは良かったんやが、その500戸に自衛艦にはまったくいなかったはずのゴキブリが大量に潜んでいたのである。そのため航海中乗員はゴキブリ退治に追われるはめになったのである。
日本では串本のほか3都市にも寄港
さて「クナルアダ」やが4月にイスタンブールを出港、4カ月かけ、親善と訓練を兼ね20カ国、24の都市に寄港するが、日本にはエルトゥールル号が遭難した串本やここ東京、さらに広島、呉と3都市にも寄港する。東京に寄港する途中のソマリア沖アデン湾ではジブチを拠点とし情報収集任務等で活動中の海上自衛隊P-3C哨戒機と親善訓練も行ったし、6月10日には串本市の「エルトゥールル号」慰霊碑前では日土協会総裁でもあられる三笠宮彬子様のご臨席を仰ぎ、岸本周平和歌山県知事、田嶋勝正串本町長、コルクット・ギュンゲン駐日大使やクナルアダのセルカン・ドアン艦長はじめ約130人の乗員も出席、慰霊碑に献花し、犠牲者を追悼した。 東京でもこの親日国家トルコの新鋭艦の人気や関心は高く、不肖・宮嶋が取材した14日金曜日に行われた一般公開は午前10時から12時までの半日だけで740人が訪れた。