演出家が必要だった岸田政権
閣僚人事によるイメージ
にもかかわらず、なぜ評価が低いのか。閣僚人事から始めよう。岸田首相は派閥や年功序列に配慮しすぎであった。まず、閣僚を派閥のバランスに配慮して割り振った。よく見ると派閥の間に軽重をつけていたものの、多くの国民には伝統的な派閥重視と映ることになった。首相は年功序列にも気を配り、当選6回で入閣を果たしていない「待機組」から多くの閣僚を起用した。「待機組」からの登用は55年体制で成立した慣例である。小泉首相や安倍首相はこの慣行にはとらわれなかったので、岸田首相の人事は対照的であった。 こうした人事は「『内向きの論理』が優先」されている(『毎日新聞』22年8月11日)、あるいは「派閥順送り」が際立っていると批判された(『朝日新聞』23年11月12日)。 このため、人事を通じて新しい課題に挑もうとしているという印象を国民に与えることができなかった。さらに「待機組」閣僚の一部は失言や不祥事により、政権にダメージを与えてしまった。
「強い官邸」のパラドクス
二つ目の理由は官邸が強くなった結果、政策立案が円滑に進みすぎたことである。過去30年間に実施された政治改革、省庁再編、国家安全保障会議設置、公務員制度改革などの結果、首相は閣内や党内で強い権力を獲得し、官僚への影響力も増大させた。抵抗を受けることなく政策を実現することが容易になっている。 首相の政策に自民党の議員や一部の省庁が強く反対する場合、摩擦が生まれる。この結果、指導力のあり方や政策に関心が高まる。逆に、円滑に政策を実施した場合、注目が集まることが少なくなる。首相の政策立案が円滑に進みすぎた結果、ボトムアップ型の政策決定手法を採ったことと相まって、指導力や政策への関心が薄れるというパラドクスが生じたのである。 (中略)
演出の不在
「強い官邸」のパラドクスがあるのであれば、政策が実現しつつあることを理解してもらうためには工夫が必要である。 そもそも首相自身が国民に政策を説明する発信に努めたとは言い難い。 岸田首相の言葉で印象に残っているものは何であろうか。最も広まったのは「聞く力」ではないか。この言葉は首相の姿勢を象徴するが、政策を説明するわけではない。次に「新しい資本主義」はどうか。「新しい」という言葉は首相自身の発案であるという(『日経速報ニュースアーカイブ』22年6月12日)。しかし、この単語は具体性に欠けている。 そこで何らかの演出が必要であった。その際、小泉首相や安倍首相の手法は参考になる。小泉政権では竹中平蔵経済財政担当大臣が、重要政策について小泉首相が最終判断を下していることが国民に伝わるように演出した。安倍政権では、今井尚哉(たかや)総理秘書官が重要な役割を果たし、一つの時期に進める政策の数を絞った。同時に数多くの重要政策に取り組むと世論の関心が分散し、政権の政策立案に十分な理解を得られなくなることを恐れたためである。 岸田政権は竹中大臣や今井秘書官のような演出家を欠いていた。そのため、首相の判断がわかりやすく伝わることが少なくなる一方、重要な政治的イベントや政策決定がしばしば同時期に行われることになった。 例えば、22年5月から6月の期間に経済安全保障推進法成立、クワッド4ヵ国首脳会合東京開催、アナログ規制撤廃に関する閣議決定が重なった。「資産所得倍増プラン」という重要政策も、安全保障政策戦略や防衛費拡大に関心が高まりつつある22年11月に決定されている。だが、この決定は別の時期にスライドさせる余地はあった。 (中略)