センバツ準優勝 近江・多賀監督が味わった大いなる感動と悔恨
第94回選抜高校野球大会は31日に幕を閉じ、近江(滋賀)は初の準優勝を果たした。京都国際で新型コロナウイルスの感染者が出たため、大会開幕予定前日の17日に出場が決まった。極限状態の中で初の決勝まで導いた多賀章仁監督(62)にとって、春夏通算20回目の甲子園は大いなる感動を味わうとともに、強い悔恨も覚える複雑なものとなった。 決勝直後の記者会見で、冒頭から反省の弁ばかりが口を突いた。「山田(陽翔、3年)を先発させたのは間違いだった」。山田は前日の準決勝の浦和学院(埼玉)戦で、左足かかと付近に死球を受けた。それでもエースは170球で完投した。決勝も志願したため先発させたが、三回途中に山田自身が降板を申し出て交代した。多賀監督は「大事に至らずによかった」と安堵(あんど)をにじませた。 長いキャリアを誇る監督が優勝を逃した直後に、自らの過ちを認めるのは難しいことだ。だからこそ、潔さが際だった。 補欠校から甲子園出場が決まり、多賀監督が選手に伝えたのは「京都国際さんの分まで頑張ろう」という思い。すると、それに応えた選手たちは準備不足を感じさせない戦いぶりを見せた。 その勢いが頂点に達したのが準決勝だった。山田が11回を投げ切り、捕手の大橋大翔(3年)がサヨナラ3ラン。試合後の記者会見では「試合中から涙が止まらなかった。指揮官として何もできなかった」と男泣きした。 京都・平安高(現・龍谷大平安高)時代に、後輩がひそかにつけていたニックネームは「仏の多賀」。その後、実際に僧侶の資格も取得した異色の経歴の持ち主でもある。 温厚に見えるが、監督に就任した1989年当時は別人のようだった。選手に言い放ったのは「俺について来られへんと思ったら、全員で校長のところに言いに行け。そうしたら俺はすぐに辞める。お前らに好かれてまでやりたいと思っていない」。勝利至上主義だった。 ところが「子供たちにいろいろと教えてもらい、甲子園でいろんな経験をした」結果、今や頻繁に口を突くのは「さわやかな野球選手、みんなから愛される野球選手になろうやないか」という勝ち負けと無縁のメッセージ。練習を見学した人の多くから「近江の選手は本当に野球が好きですね。良い雰囲気ですね」と褒められるチームを作り上げてきた。 愛情があるから、言葉もあふれるように出てくる。ミーティングも夢中になれば1、2時間に及ぶことも。一つ質問を受けると、十どころか、百を答えてしまうところも愛嬌(あいきょう)だ。 愛する「野球小僧」たちと挑んだ頂上決戦では後れを取ったが、「夏に向けての課題が明確になった。彼らの精進に期待したい」と“野球僧侶”らしい言葉を残した多賀監督。再び日本一への修行の日々が始まる。【岸本悠】