心療内科医・桑山紀彦:能登半島地震、ガザ、ウクライナ―災害・紛争の現場で苦しむ人々の心のケアに取り組む
トラウマと向き合える社会に
2016年、名取市から神奈川県海老名市に移り、「海老名こころのクリニック」を開院した。現在は不登校児のケアに絞っているが、自治体や警察からの依頼もあり、犯罪被害者やその家族の心のケアも行っている。神奈川県の知的障害者施設で19人が殺害された「やまゆり園事件」の被害者家族のケアにもあたった。 桑山さんが行う「心理社会的ケア」は、PFA(心理的応急処置)やPTSDに頻繁に利用されている国際標準的な手法で、集団で向き合うアプローチだ。 ワークショップでつらい記憶やそれにまつわる感情を、絵を描くことや粘土工作、映画制作、演劇など創作活動を通して表現することでトラウマに向き合い、仲間や地域の人たちと共有する。その過程で、自分が傷ついた経験が他の誰かの役に立つという気づきを得て、心理的孤立状態から抜け出し、社会ともう一度つながることができる。 「心理社会的ケアは、人間の本能、自然治癒力に根差しています。つらい体験から、ある一定の時間が過ぎると、誰かに伝えたくなる。それができるようになると、自分の経験を社会に還元したいという本能が働くのです」 日本にこのケアモデルが浸透しないのは、トラウマに対する独特の偏見があるからだと言う。 「“寝た子を起こすな” “そっとしておけば忘れる”という考え方です。でもトラウマは消せないし、消す必要もないものと位置付けることが大事。誰かと一緒に向き合うことで、成長のための資源、転機になるのです。もっとトラウマに向き合える社会、語り合える社会であってほしい」 支援先を含め、心理社会的ケアの実践者を国内外で育成する活動も始めている。昨年還暦を迎えたが、今後も、できうる限り「世界と関わって」いくつもりだ。 「毎回、現地の人から、さまざまな恩を受けています。その恩を返そうと次なる紛争国に向かっても、またそこで恩をいただく。恩の貯蓄は僕の中であふれそうになっているので、一生かかっても恩返しの活動は終わりそうにないかな」 インタビュー:吉井妙子(ジャーナリスト)/構成:板倉君枝(ニッポンドットコム編集部)
【Profile】
桑山 紀彦 心療内科医・NPO法人「地球のステージ(Frontline)」代表。1963年岐阜県高山市生まれ。87年山形大学医学部、92年同大学院卒業。医学博士。94年、ノルウェーのオスロ大学医学部附属「心理社会的難民センター(Psychosocial Care Center for Refugees)」で「心理社会的ケア」を学ぶ。以来、パレスチナをはじめ、世界各地の紛争地、災害の現場で心のケアに取り組む。2009年、宮城県名取市に「東北国際クリニック」を開設、11年東日本大震災で被災。16年、神奈川県海老名市に「海老名こころのクリニック」を開設、不登校児の心の支援を中心に行っている。