「働けない自分に価値はない…」パニック障害で失った15年 「惨めだった」生活保護暮らしから社会復帰目指した49歳女性の足跡
「自分には価値がない」膨らむ思い
「塵芥(ちりあくた)だと思って生きていました」。自分には価値がないと思う気持ちが膨らんだ。両親とは普通に会話をしていたが、内心では「仕事に関する話題は出ないでくれ」と願っていた。「仕事しないの?」。両親に尋ねられた時は、「うん、分かってる」と生返事をしてやり過ごした。
美保さんが40歳になる頃、父にがんが見つかった。母の持病もあり、両親の世話を美保さんがするように。2017年に父、19年に母が相次いで死去後は2人が残した貯金で生活。外出はスーパーへの買い物や自身の通院、ペットの猫たちのために動物病院に行く程度になった。
いつしか生活保護を受けるように
深い喪失感から立ち直ることができずにいた21年6月、飼い猫が死んだ。何匹かいるうち、特に大切にしていた猫だった。美保さんを癒やしてくれた存在が消え、気力が湧かなくなった。気付けば貯金もほとんどなくなり、22年春には障害年金の支給を申請。だが条件が満たされないと却下され、夏ごろから生活保護を受け始めた。
生活保護では医療費の自己負担がなく、窓口で支払いがない。「それが惨めだった」。車の運転が禁止され「行動が制限され、自由がない」とも感じた。パニック発作への不安やうつ状態から「働くのは無理」と思っていた美保さん。しかし生活保護を経験し、「現状を脱したいという気持ちが上回りました」。
復帰に向けて動き出す
働くことから遠ざかって15年。美保さんは社会復帰を目指し、動き始めた。
11月中旬、北信地方の医療機関を美保さんが訪れた。この日は3週間に1度の心療内科の受診日。臨床心理士の小百合さん=仮名=が近況を尋ねると、美保さんは「月曜日は気が重いけど、何とか過ごしています」。「いいじゃないですか」と応じる小百合さんに笑顔を見せた。
美保さんは、4月から、1日6時間勤務の事務職で働いている。電話応対が苦手で緊張するが、書類作りなどの仕事には徐々に慣れてきたと感じている。
パニック障害を発症し、長年働くことができず実家で両親と暮らした美保さん。父母の病死後に困窮し生活保護を受け、「現状から抜け出したい」と思ったことが社会復帰への原動力となった。