「働けない自分に価値はない…」パニック障害で失った15年 「惨めだった」生活保護暮らしから社会復帰目指した49歳女性の足跡
今、日本の雇用労働者の4割を占める、パートや派遣などの非正規雇用。不安定な働き方や低賃金は貧困につながる場合がある一方、正社員以外の多様な働き方を必要とする人もいる。その仕事や暮らしからは、社会が抱えるさまざまな問題が浮かび上がる。 (中山有季) 【写真】医療機関に足を運ぶ美保さん
自宅で突然息苦しくて心臓ばくばく…
2006年11月、長野県の北信地方に住む美保さん(49)=仮名=は、自宅で突然呼吸が苦しくなった。全力疾走した後のように心臓がばくばくし、冷や汗が出る。十数分はその状態が続いたように思う。鼻づまりが原因かと思い総合病院の耳鼻科を受診したが、心療内科で不安障害と診断。その後、別の医療機関でパニック障害と言われた。
もともと心配性で不安感が強い性格の美保さん。加えて、それまでに積もり積もったストレスが発症の背景にあったと思っている。
職場で自分を否定され…ストレスで発作
美保さんは県外の短大を卒業後、20歳で食品関連会社に正社員として就職。事務を担当していたが、先輩たちは厳しかった。仕事を覚えきれず先輩に確認すると「前にも教えたよね」と嫌みを言われ、「仕事が遅い」と叱られた。昼休みも働く日々が続き、泣きながら出社するようになり、3年で辞めた。
別の会社に転職し、1年ほどで結婚を機に退職。その後、27歳の頃に離婚した。短期のアルバイトや派遣の仕事をしながら生活していた頃、初めてパニック発作が出た。「職場で自分を否定され、離婚も経験して自信がなくなっていた」と振り返る。
「また発作が起きたらどうしよう」
抗不安薬などの薬物治療をして1年。治ったと思いスーパーでアルバイトを始めたところ、すぐに発作が出た。仕事に出かけようと自宅を出る前や帰宅した時、呼吸が苦しくなり「頭がおかしくなりそうな感覚」に襲われた。「また発作が起きたらどうしよう」。不安のあまり外出できなくなり、仕事を辞めた。
収入のない身で両親と実家で暮らし、肩身は狭かった。体が重く起き上がれない。日常生活もままならない状態。それでも外見上は問題がないように見えるため、「なんで働けないの」と両親は言った。きょうだいからは「同じような症状でも薬を飲んで働いている人もいる」「親がどれだけ惨めな思いをしているか分かるか」と非難された。