脳卒中で倒れて数百万円を息子が肩代わり。“小さな古畑任三郎”ツートン青木64歳が語る、闘病生活
家が全焼して一文無しに
――意外と鰻登りの人生だったわけですね。 ツートン:そんなことはないです。一度、隣の家から火がうつってしまい、家が全焼したことがあったのですが、そこでほぼ一文なしになりました。どうしようと思ってた時に日テレの「ものまねグランプリ」で美空ひばりさんの真似をしたら優勝したりと、なかなか綱渡りの状況でした。そこから「金スマ」とかに出させてもらえるようになったのですが、そのタイミングで息子の青木隆治がものまね芸人でデビューしたんです。 ――息子さんの芸能界デビューは斡旋などしたんですか? ツートン:いえ、してないです。息子がものまねをやるのには反対だったんですよ。小さい頃から歌手を目指してほしくて、なんて言うか自分ができなかった夢を託すというか……。息子は「将来は歌手になる」と卒アルに書いていたんですけどね。結局同じ道に来ちゃいました。
「俺は親父のレパートリーは全てできるよ」
――青木隆治さんはどうやってデビューされたんですか? ツートン:当時仲良くしていた演出の人とか事務所関係の人とかが勝手に出しちゃったんですよ。僕がスタジオ収録の日に歩いていたら、前から息子が歩いてきて、「何しているんだ?」って聞いたら、「これからものまね番組の収録!」と言われて、まさかの返答でビックリみたいな感じですね。 ――息子さんにはものまねの極意みたいなのを教えたことはあるんですか? ツートン:ないですね。でも小さな頃からカセットテープで僕の歌を聞いていたみたいで。お風呂場で一緒にものまねをして遊んだりはしていたんですけど。息子が成長してから「俺は親父のレパートリーは全てできるよ」って言われましたね。
脳卒中で倒れて、息子に迷惑かけた
――息子さんにダメ出しみたいなことはしたりするんですか? ツートン:昔はしていたんだけどね…。今は迷惑かけちゃって頭が上がらないですよ。僕は2021年に脳卒中をやっちゃって、家で倒れちゃったんです。なんとか自分で救急車を呼んで助かったのですが、母親の葬式のあとで、その費用とか払う前に倒れちゃったから、息子が立て替えてくれたり、あと俺の入院代も支払ってくれています。葬儀代は百万円、入院代は数百万円なので、かなり迷惑をかけたと思っています。本人は歌とものまねを組み合わせた武道館ライブを成功させたりしているので、親としては何も言うことがないですね(笑)。 ――地元にオーナーを務めるお店を出店していましたが、辞めたのは脳卒中の影響ですか? ツートン:そうなんです。地元の神奈川の足柄のほうに店を構えて、自分で料理とか作って出していたんですけど、脳卒中のせいで左半分が言うこと聞かなくて、こりゃダメだと…。 コロナの影響もあり、これはいったん店を閉める時が来たかなと、断腸の思いで閉店させました。そこから約2年間はリハビリの日々です。いまでも左半分が言うことを聞かなくて、去年あたりから本格的にリハビリを始め、徐々にマイクを握れるくらいに握力が戻ってきましたね。