フリーアナ牧原俊幸さん「カノッサの屈辱」と「食わず嫌い王決定戦」がナレーターとしての転機 【その日その瞬間】
【その日その瞬間】 牧原俊幸 (フリーアナウンサー/66歳) 元フジテレビアナウンサーの牧原俊幸さんのターニングポイントはナレーターを本格的に開始した2つの番組という。 【写真】プロ野球選手「アイドルと結婚」急増中! かつて“主流”は女子アナだった【一覧表あり】 ◇ ◇ ◇ 今振り返ると「カノッサの屈辱」と、「とんねるずのみなさんのおかげでした」で23年間続いた「食わず嫌い王決定戦」のナレーター業の2つが僕にとっては大きかったですね。フリーになってもナレーションの仕事をいただけるのはそのおかげですから。 ナレーションだけの仕事は最初が1990年から始まった「カノッサの屈辱」。深夜帯で1年だけでしたが、インパクトのある内容で当時話題にもなりました。「カノッサ」と同じディレクターが担当した「とんねるずのハンマープライス」でナレーションをやった時に、とんねるずのおふたりとつながりができ、95年に食わず嫌い王決定戦のナレーションを務めることに。「カノッサ」があったからこそ起用されましたから、この時がアナウンサーとしてのターニングポイントかなと。 こちらは最初に食の説明をしたり、最後にもちょっと姿を見せましたが、ほとんどの時間が天の声(ナレーション)。23年間で母親が危篤で実家に戻るため、後輩アナに代役を頼んだ時以外はほぼ僕が担当。木、金曜が収録なので、その2日は他の番組や出張を入れず、23年間空けていましたから。 ■「最弱王」を戦った大竹しのぶと泉谷しげる とんねるずとゲストがいるセットの壁の横の場所で僕は「いよいよ実食です」などとリアルタイムで実況。メニューの紹介など僕の声がすべてスタジオにいるみんなに聞こえています。その横には作りたてを出すための調理スペース。 段取りは時期とともに変化しましたが、お馴染みなのは4品ずつ食べてその中に1つある嫌いなものを当てるというルール。 ゲストも、少し嫌いな食べ物を提案して本番で食べている方はバレませんが、本当に嫌いな食べ物を設定される方はモロに表情に出ていましたね。有名なのは大竹しのぶさんと泉谷しげるさん。おふたりはあらためて「最弱王」を決めるために戦っていただきました。 とんねるずとゲストのトークコーナーも評判で、「徹子の部屋」と「笑っていいとも!」のテレフォンショッキング、そして「食わず嫌い王決定戦」に出演するのが若手タレントの目標になっていたほどです。もしも食わず嫌いに出られた時に、何のメニューにするか考えている若手芸人も多かったとか(笑)。 ■大好きな落語の間の取り方や口調が役立った ナレーター業に役立ったのは落語でしたね。僕は落語が大好きで、いつも聴いていますから、落語家さんの間の取り方が体に染み込んでいる(笑)。「カノッサ」は映像にのせる声が私だけでしたから、とくにナレーションが重要で台本も面白かったので、ちょっとためてから落とすみたいな落語の口調を取り入れていました。 食わず嫌いのコーナーが定年になる2018年まで続くとは思いませんでした。他にも「カノッサ」の後に「カルトQ」でクイズ出題のナレーターをやり、それで「クイズ!ヘキサゴンⅡ」にもつながったと思うので、本当にあの2つの番組は大きかった。 退社後には数分の番組「ミライへの1minute」(テレビ西日本)のナレーションのオファーがきたのも、スタッフから「カノッサや食わず嫌いを見ていました」と言われたから。めでたくこの前200回を迎えました。僕はナレーションの仕事が好きですし、画面に出てはしゃぐタイプではないから、ありがたく思っています。 話は変わりますが、昨年にゲンダイさんで断捨離のお話をしまして、メルカリで600くらいの取引をしているとお伝えしましたが、1年経って700近くになりました。大掃除シーズンなので僕の断捨離法を話しますと大量に集めていた落語などのCDはパソコンに音源を残し、そのCDや趣味のマジックの道具や本もメルカリで売るんです。 今も100点ほど出品されている状態で、たまに売れています。メルカリのいい点は出品すると置きっ放しができるところかな。僕は安く設定しておいて、いつか誰かの目に留まればいいなというくらいに気長にやっています。意外な物でも欲しがる方はいるもので、取っておいた昔のある演劇のチラシを試しに2000円くらいで出してみたら売れました(笑)。出品して置いといて損はないと考えて、日々持ち物を整理しています。みなさんも大掃除の際にご検討ください。 (聞き手=松野大介) ▽牧原俊幸(まきはら・としゆき) 1958年7月、北海道出身。83年からフジテレビでアナウンサー。2018年からフリーに。現在「TOKIO城島 らくらく茂」(朝日放送)などのナレーターとしても活躍中。