「きみ、帰っていいよ」過度に緊張し吐き戻した過去も「私には向いていない」から始めたモデル業で活躍し続けた小泉里子の原点
15歳でモデルとしてデビューした小泉里子さん。『CanCam』の専属モデルで注目を集めて以降、数々の雑誌の表紙を飾りました。デビュー当初「緊張しすぎてうまくいかないこともあった」と話す小泉さんに、トップモデルに至るまでの経緯を伺いました。(全2回中の1回) 【写真】緊張が伝わる…『Domani』で初表紙を務めたときの小泉里子さん など(全7枚)
■過度の緊張から撮影現場で具合が悪くなり… ── 子どものころから、モデルに興味があったのでしょうか? 小泉さん:中学生のころからファッション雑誌を見ていましたが、自分がモデルになることは想像していませんでした。ただ、当時から背は高い方で、友人に「知り合いにモデル事務所で働いている人がいるからやってみたら?」と声をかけられて。「話を聞きに行ってみようかな」という軽い気持ちで、母と一緒に事務所に行ったら、とんとん拍子で事務所に入ることになったんです。その後は、ウォーキングや歌、演技などのレッスンを、週4回、3か月間受けました。
── モデルとしてデビューした経緯について教えてください。 小泉さん:レッスンを受けている間に、キャンペーンモデルの仕事が決まったんです。同時に事務所からも「雑誌モデルをやってみたら?」と提案を受けて挑戦してみることに。『CanCam』のトライアルを経て、1997年に専属モデルとしての活動がスタートしました。 ── デビュー当初、雑誌モデルの仕事はいかがでしたか? 小泉さん:正直「私には向いてない」と思いました。撮影現場では過度に緊張してしまい、気分が悪くなって吐き戻してしまうほどで…。撮影中に「きみ、帰っていいよ」と帰らされたこともありました。家にいるときも、ずっと「胃が痛い」と言う私に、母は「嫌なら辞めてもいいよ」と言ってくれていましたが、仕事をもらった以上は「やるしかない!」という気持ちで撮影現場に向かっていました。
■「表紙を飾りたい!」意欲に火がついた瞬間 ── モデルの仕事に「楽しさ」を感じ始めたのはいつころだったのでしょうか。 小泉さん:『CanCam』の仕事を始めてしばらく経ったころです。「表紙」への意欲が芽生えたと同時に、仕事の楽しさを感じるようになりました。その後は、何度か『CanCam』で表紙を担当することができましたが、当時の『CanCam』は、「表紙の専属モデル」というポジションはなく、「みんなで担当する」という感じ。負けず嫌いな性格もあってか、いつしか「表紙の専属モデルになりたい」と考えるようになっていきました。