年末年始の宮中行事から見えてくる「皇室と神道」…柔軟な制度改正が必要な理由
付け焼き刃が真の伝統か
神道は、一般的な神道や天皇陛下を祭司とする皇室神道、国教だった時代の国家神道と、いくつかの呼称があるが枝分かれはしていない。その神道も、最も重要な儀式であるはずの新嘗祭が応仁の乱以降、江戸時代まで中断されたり、高齢になった昭和天皇の負担軽減のため正座ではなくイスを導入したりといった経過をたどっている。前例は必ずしも守られず変化している点では、宮中祭祀に参加した喜久子さまや眞子さんの例も同様だ。 「現在、皇室の伝統とされているものは、明治政府が過去を参考に付け焼き刃的に決めたものが大半です。だから齟齬や粗が多いのです。中国の始皇帝陵やエジプト・クフ王のピラミッドと並ぶ世界最大級の墓という価値が認められて世界遺産になった仁徳天皇陵は『実は允恭天皇の墓だ』とする説が根強いことが齟齬の典型例です」(同関係者) 宗教は進化するものであり、それが当該宗教の歴史と伝統を作ってきたことは間違いない。そして神道も決して例外ではなく、変化してきた。 日本相撲協会側が土俵上の女人禁制を盲目的に主張したことと、神社側が祭祀から女性を遠ざけようとする姿勢、そして保守派を自任する政治家が皇位の男系男子継承厳守を訴えていることも、根源にあるのは、神に祈りをささげる祭祀こそが「天皇の天皇たる所以」(同)という事実だろう。だが、宮内庁首脳経験者はこう語る。 「様々な困難を、形式に拘泥せず教条主義を排してフレキシブル(柔軟)に乗り越えてきた天皇家の存在を、根拠づけているのが神道のはず。一度は姿を消した生前退位や上皇の規定も再興された。126代中、10代いた女性天皇が絶対に認められないという考え方こそが、皇室の伝統、ひいては神道に反するのではないか」 高齢化と婚姻で皇族が減少し続ける中、三笠宮妃百合子さまも死去。皇室のメンバーは16人となった。皇室の歴史と伝統を死守するためには、柔軟な制度改正が今やはり必要なのではなかろうか。 朝霞保人(あさか・やすひと) 皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。 デイリー新潮編集部
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