有安杏果、写真家デビュー ももクロ卒業して見えたもの
シンガー・ソングライターであり、写真家としてもデビューした有安杏果。今回、インタビュアーは2009年にももいろクローバーを取材して以来10年ぶりに再会した。あのときは新メンバーとして加入した翌日で、14歳のあどけない少女だった。その後、一躍ブレークしたももクロで芸能活動を送った有安も、すでにグループを卒業して約1年半、24歳の女性アーティストに成長した。今月、大阪で初となる個展「ヒカリの声」を開き、7月には東京でも開催が決まったほか、写真集とライフスタイル本も出版するという。新たな表現活動に踏み出した気持ちなどを聞いた。
ももクロは青春 ただただ必死でした
2017年の春に日大芸術学部写真学科を卒業した有安は、翌18年1月にももクロも卒業したが、多感な10代から20代前半のうち8年間に渡り在籍したグループでの芸能活動はどんな影響を与えたのか。 「(ももクロには)途中から入ったので、メンバーとして認めてもらうために、ただただ必死でした。高校受験もありましたが、負けず嫌いな気持ちが芽生えて『頑張ろ~』って。学校の友だちはもちろん家族といる時間よりもメンバーやスタッフさんといる時間のほうが長くて、青春だったなぁ~と。普通では経験できないことばかりで、かけがえのない時間でした」
歌って踊れる人になりたかった
物心ついたときには子役としてカメラの前で仕事をしていた有安。10年前のインタビュー時、こう話していた。「0歳の頃から赤ちゃんモデルをして、3歳からドラマとかにも出演して。現場の雰囲気とかセリフもすごい覚えています。でもなによりもダンスと歌が大好きで、P-A(Power Age)っていう解散しちゃったグループでも活動していたんですけど、ちょうどきのうから、ももいろクローバーに入って、一番好きなダンスと歌ができるのが本当にすごいうれしくて」……3歳からバレエ教室に通い卒園後はジャズダンススクール、さらにEXILEのダンススクールにも通った有安にとって、ある意味、ももクロとしてステージに立つのは人前でパフォーマンスしたいという夢が叶った時間でもあった。 「(10年前も)歌って踊れる人になりたかったんです。七夕の短冊にCD出したいって書くくらい。ももクロに入ったときは、アイドルに特別なりたかったわけでもないけれど、実際、夢のような感じでした。だけど当時は、本当に必死でした。初めて地上波のテレビに出た後のイベントに、それまでの倍以上のお客様が来てくださったのは未だ忘れられないです」