「大造じいさんとガン」の椋鳩十、生誕120周年の特別企画展 3カ月で学校を解雇…強烈な逸話も
「大造じいさんとガン」などの児童文学で知られる作家、椋鳩十(1905~87)の生誕120周年を記念する特別企画展が、かごしま近代文学館(鹿児島市)で開かれている。鹿児島を拠点に、命の尊さや人間の愚かさを見つめた作家の生涯をたどる資料約200点から、時代や権力に翻弄(ほんろう)されながらもわが道を歩んだ椋の姿が見えてくる。 【写真】初版本や当時の写真が陳列された展示会の様子 終戦2年後の1947年、鹿児島県立図書館の久保田彦穂館長が進駐軍に呼び出された。軍国主義的だと指摘された書籍の処分命令に従わなかったのだ。「研究材料として将来必要だ」と「抵抗」したその久保田館長こそが、作家「椋鳩十」である。「それぞれの顔」と題した同展は、作家、教師や図書館長など椋の多様な表情を、逸話と共に紹介する。 ファーブル「昆虫記」や柳田国男「野鳥雑記」。展示の前半、椋が好んで読んだ本が並んでいた。長野の自然豊かな地域に生まれた椋は、少年の頃から生き物への関心が高く、「昆虫記」を抱えて日本アルプスの谷を歩き回った。文学との出合いも紹介されている。小学生の頃、担任に薦められて読んだ「アルプスの少女ハイジ」の日本語訳本。野山や人を生き生きと描く物語を夢中になって読み、裏山に登って山々を眺めた。椋は当時のエピソードを66年、西日本新聞に連載した50回随筆「自然の中で」にもつづった。 児童文学が代名詞だが、原点は詩だった。大学時代は詩人クラブに参加し、仲間と詩誌を発刊した。本展では新たに見つかった大学時代の詩誌「晴天」を初展示。ただ、後に行き詰まって小説に転向している。 卒業後に鹿児島で国語教師になった椋は、終生を同県で過ごすが、駆け出しの逸話は強烈だ。赴任した学校で、夏にふんどし1枚の姿で授業をして3カ月で解雇されたのだ。椋鳩十として作家デビューしたのはそれから数年後の33年。山の民「山窩(さんか)」の自由な暮らしが題材の小説を発表したが、性的表現などが問題となり発売禁止処分に。自由な精神を求め続けた椋は、特高警察に見張られ、筆を折ることも考えた。だが、38年から少年雑誌に動物の親子愛や、種を超えた友情物語を次々と発表していった。 会場にある当時の思いをしたためた文章に目がとまった。 <野生の動物たちでさえ、命をうばわれたり、自由をうばわれたりすることは、どのような、重大事であるか(中略)感じとってもらいたいと思ったのです> 児童文学にも戦意高揚が求められる中、戦争の愚かさを間接的に伝えた椋なりの「抵抗」ではないだろうか。 戦後は図書館長として実用書文庫「農業文庫」を設置し、読書人口の拡大に尽力しつつ、ファンタジーの世界で動物や子どもの物語を描き続けた。環境汚染や戦争にも向き合い、弱き者や小さき者の声を通して問題の本質を伝えようとした。そんな業績を明らかにする展示は、「児童文学」が平和に資する可能性の大きさも証明しているようだった。 (川口史帆) ◇「椋鳩十 それぞれの顔」は28日まで。大人600円、小中学生300円。かごしま近代文学館=099(226)7771。