大谷翔平、ワールドシリーズでヤンキースと伝統の頂上決戦なるか かつてない盛り上がりへ
ワールドシリーズで最大の注目は、ドジャース大谷翔平投手が初出場なるかと、ヤンキースと伝統の頂上決戦でしょう。 【動画】ナ・リーグ制覇の瞬間、大谷はベンチを飛び出し、花火もあがる ドジャースが出場を決めれば、日本のファンが一番楽しみにしている、垂ぜんの好カードとなります。 1920年代にヤンキースはベーブ・ルースの活躍で黄金時代を築き、これまで史上最多の27度もワールドシリーズを制覇。それに対し、1890年ナ・リーグに加盟したドジャースも長い歴史を誇り、過去7度も世界一に輝いています。 1941年のワールドシリーズで初めて両チームが対戦。当時はニューヨークのブルックリンにドジャースの本拠地があり、両球場を地下鉄で往来できることから別名「サブウェーシリーズ」と呼ばれ、同都市対決に大勢の市民が熱狂しました。 しかし、その年のドジャースは、有名な「ミッキー・オーウェンのパスボール」で敗退。以来、ワールドシリーズで両チームは47、49、52、53年と対戦しました。伝統の頂上決戦となりましたが、無敵の強さを誇るヤンキースにドジャースは全く歯が立たず。いつしか「来年があるさ」がチームの合言葉になりました。 それでも、55年のワールドシリーズで再びヤンキースと対戦。最大のライバル相手に6度目の挑戦で勝ち、ついに悲願の世界一となりました。 その後、58年にドジャースは大陸横断し、遠く西海岸ロサンゼルスに本拠地移転。東から西まで約5000キロの距離を隔てても、ライバル関係は続きました。日本でもヤンキースは映画「打撃王」や「くたばれ!ヤンキース」などを通じ、知名度、人気共にNO・1であり、いわばアメリカ文化の象徴的存在です。一方、ドジャースは60年代から日本球界との交流を深めるなど、我々にとって最もなじみのあるチームと言えます。 77年のワールドシリーズで両チームが対戦したとき、第1戦をNHKテレビがゴールデンタイムに放送。また、第4戦をテレビ朝日が当時としては画期的な現地からの衛星中継。まるで夢のような出来事でした。しかも、パ・リーグのプレーオフで多忙な伊東一雄氏に頼まれて、まだ学生の身ながら番組を手伝う機会に恵まれました。特に、NHKで西田善夫アナウンサー、解説の川上哲治、藤田元司両氏とご一緒に仕事ができたことは一生忘れられない思い出です。 これをきっかけに日本で最初の大リーグブームが到来しました。翌78年4月からフジテレビが大リーグ中継の独占放送を開始。また、大リーグ各球団のジャケットや同モデルのユニホーム、各球団のロゴ入り文房具などが大々的に売り出されました。両チームの対戦は、77、78年はヤンキースが制し、81年はドジャースが勝利しています。 しかし、当時は誰も日本人選手がいない時代だったので、長くは続かず。単なるブームで終わってしまったのは残念です。それが今や日本人選手の活躍によって、メジャー人気が完全に定着。地区シリーズ第5戦のドジャース-パドレス戦で日本人同士が先発した時は、日本で史上最多となる1290万人の視聴者数を記録。NHK総合の平均世帯視聴率は20.3%(関東地区)でした。 今から半世紀近く前に、日本で最初のブームを巻き起こしたヤンキース-ドジャースという伝統の頂上決戦。当時と違って、今ではドジャースに大谷、山本由伸両投手がいて、ヤンキースには日本でも人気あるアーロン・ジャッジがいます。もしワールドシリーズで伝統の頂上決戦となれば、日本でかつてないような盛り上がりを見せることでしょう。 【大リーグ研究家・福島良一】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「福島良一の大リーグIt's showtime!」)