国学者・本居宣長がもっとも大切にしていた「日本的エロス」とは何か?(レビュー)
本居宣長といえば、「漢意(からごころ)」を批判し、「大和魂(やまとだましい)」を称揚した厳めしい日本主義者というイメージを持っている人もいるかもしれない。しかし、先崎彰容さんの新刊『本居宣長 「もののあはれ」と「日本」の発見』によれば、宣長が日本の特長としてもっとも重要だと考えていたのは「色好み」、つまりエロスだったという。日本思想史研究者の片山杜秀さんが本書の読みどころを紹介する。
片山杜秀・評「エロスいっぱいの宣長」
西と東の相剋。古代から現代に至る日本史はそれで読み解ける。本書の大前提だろう。かと言って、西日本と東日本という国内地理の話ではない。荻生徂徠や賀茂真淵が江戸に居て、本居宣長は伊勢の松坂だから、東と西というわけでもない。西とは隋や唐や近代西洋だ。外圧は西からかかる。日本は常に東側。しかもこの国に西を圧倒する力は昔も今もなかなか備わらない。ゆえに東が西に文明として対抗しようとすると、日本の内側に西の理屈を入り込ませて「文明化」してみせるというかたちをとらざるを得ない。こうして我らの内なる西が生まれる。我らの内なる東と、争ったり、軋んだり、棲み分けようとしたりする。西が東を露骨に下位に置くこともとても多い。因果応報の仏教に大義名分の儒教に合理と科学の西洋文明。東はいつもその前に這いつくばるのか。今日の日本を含めて。 そうはさせじ。本書の主人公は我らの内なる東の側に立つ大思想家だ。国学者である。一七三〇(享保一五)年に生まれ、一八〇一(享和元)年に逝った。田沼意次や松平定信の時代に自らの思想を展開した。世には確かに矛盾や不安も満ちる。が、前後の時代に比べれば、外圧をかなり忘れられ、「鎖国」の稔りを得られた頃合い。言わば江戸期の頂点。経済は殷賑。学芸は爛熟。政治や社会の差し迫った課題も少なめ。かくて宣長は嘯く。「上古の時、君と民と皆な其の自然の神道を奉じて之れに依り、身は修めずして修まり、天下は治めずして治まる矣」。儒仏や蘭学に頼らずとも我が国は自ずから回る。国学者の自信であろう。 すると宣長とは、おめでたい江戸中期の産んだ、単なる楽天家だったのか。そんなことはあるまい。著者は大野晋の説を引きつつ若き宣長の苦悩と決断に注目する。宣長の思いびとは材木商に嫁に行き、彼は人妻への恋情に身を焦がしつつも、意に染まぬ結婚をした。ところが思いびとは材木商と死別。それを知った宣長は歌を詠む。「くらへ見んいつれか色のふかみ草 花にそめぬる人の心と」。思いびとの名が詠み込まれている。草深民という。民さんだ。近代の歌人、伊藤左千夫の小説『野菊の墓』のヒロインも民さん。左千夫は言った。人はなぜ歌を詠むか。合理的な思考や選択から心かはみ出すと、人は叫び、それが歌になる。宣長は草深民を思って叫んだ。妻を棄てた。未亡人の民さんを後妻に迎えた。そんな粗筋が断片的な証拠から組み立てられる。それが人間宣長と弁えれば、『あしわけをぶね』の次の一節の生々しさはまた格別だ。「人の妻を犯すなどと云事は」子供でも悪いと知っているけれど、「すまじき事とあくまで心得ながらも、やむにしのびぬふかき情欲のあるものなれば」やめられないし、止まらないという。