松本潤が大河ドラマ後に“演劇界の巨匠”の舞台へ出た必然。18年前の演劇出演時と変わらないものとは
「青嵐」という言葉がある。 初夏に吹く風のことだ。NODA MAP『正三角関係』における松本潤には青嵐が吹くような瞬間があった。彼の嵐でのメンバーカラーは紫で、青は大野智の色だけれど、そこは大目に見てほしい。 【画像】野田秀樹作、演出の新作『正三角関係』
松本潤、動きの切れ味と正確さ。風のように鋭い
ビュッと吹くと風のように鋭い動きは、松本演じる花火職人・唐松富太郎が、舞台後方にしつらえた橋のように見えるセットにひょいっと飛び上がり一瞬のうちに奥へと消えていくときのものだ。これが何度見ても、実に正確で俊敏で、一緒に見にいった知人は見逃したなどと言っていたほど(そんなあ)。 筆者は、初日と8月中旬と9月終りの大阪で3回観たが、毎回、動きの切れ味と正確さが眼に焼き付いている。9月の大阪でもまだまだ疲れ知らずだと感じた。
永山瑛太、長澤まさみら。野田秀樹の演劇で思いがけないところへ
『正三角関係』はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を下敷きに、父・唐松兵頭(竹中直人)殺しの容疑者となった三兄弟の長男・唐松富太郎が有罪か無罪かを問うミステリー仕立ての物語である。 それがじょじょに様相を変えていき、最後は思いがけないところに行き着くところが野田秀樹の演劇の醍醐味(だいごみ)である。ダジャレのような言葉にも重要な意味が隠されていたりして油断ならない。 「(正)三角関係」という言葉にもいろいろなことを想起させるようなところがあって、まるで物理学の数式のように言葉が複雑に精巧に結びあっている。 舞台は日本、時代は戦時中に置き換えられていて、人々を楽しませる花火の火薬は軍に没収されてしまう。富太郎が花火職人の先代である父を殺したとして動機は何なのか。あるいは彼はやっていないとしたらその根拠はあるのか。 裁判では、唐松家の番頭の呉剛力(小松和重)や次男で物理学者の威蕃(永山瑛太)や三男で神に仕える在良(長澤まさみ)などが証言者として発言する。
18年前の松本潤も見せた無駄の無さ
容疑者として暗い眼をしてぶっきらぼうに振る舞う松本は、今回の舞台に出演するにあたりおそらく筋力をつけたのであろうか、これまでよりも身体が鍛えられたような印象を受ける。 ひとまわり大きくなったように見えるにもかかわらず、動きに切れ味があるのは筋肉の賜物に違いない。 だがこの鋭角的な動作を筆者はかつても観た記憶があった。18年前、2006年の野田秀樹作、蜷川幸雄演出の『白夜の女騎士ワルキューレ』でのことだ。このことは何度も擦(こす)り続けているのだが、当時、筆者はパンフレットの稽古場レポートを書くため稽古場を見学していた。 野田の描く、被膜(ひまく)の下にもうひとつの世界がある多層性を、奈落(ならく)の上と下で表現した蜷川演出。冒頭、松本は奈落に潜って蓋(ふた)を開ける作業を行う。その手際の良さ。機能美のような無駄のなさが、あのときといまもいい意味でまったく変わっていないように感じた。 当時、当人は、数多くのステージ経験でこういうことは慣れっこなのだとあっさりしたものだったが、筆者としては、松本潤の職人的な端正さは得難いものだと感じた。