松本潤が大河ドラマ後に“演劇界の巨匠”の舞台へ出た必然。18年前の演劇出演時と変わらないものとは
松本と野田秀樹の考えが違っていたことも
あれから18年、野田秀樹作、演出の新作『正三角関係』で松本が演じたのは、まさに匠の職人であった。 9月の上旬、松本がゲスト出演したトーク番組『A-Studio』(TBS)では、富太郎が花火の発火装置のようなものを作る場面の稽古について語られた。 このとき松本は手際よく作業を行おうとし、身近な道具を使った工作のようなことを「こういうのきれいに作りたいんです」と松本は振り返った。さらに誰がやってもきれいに失敗しないように作ることができるシステムにまで昇華させたいと思ったようなのだが、野田秀樹の考えは違っていた。もっとラフなものを求めていたようなのだ。 永山瑛太は、野田はあえて手こずる過程を経て、その先にあるものを見出したいのではないかと、推測した(プラスアクト9月号、筆者による永山瑛太インタビューより)。 舞台上でのハプニング性も大切にしている野田は、たとえば、劇中活用される養生テープはあえて切れてもおもしろいと考えていたようなのだ。 『えんぶ』10月号で筆者が取材した出演者座談会で、村岡希美が「(切れないように)あらかじめ準備すればできるけれどそれじゃつまらないというところが野田さんの創作の出発点なのかなと」と推察していた。実際、初日、永山と野田の場面でテープが切れて、その対処にあたふたする一幕があり、その予想外の間合いが面白く感じた。 一方、松本は合理的な感覚でテキパキ物事をまとめようとする。そんな松本のことを永山は先述のインタビューでこう言っていた。 「潤君は野田さんに積極的に意見を言っていて、凄いなあと僕は傍らで見ています」
松本は「おばちゃん」と言われ、また言うのは
『A‐Studio』では笑福亭鶴瓶が松本を「おばちゃん」と言い、松本は野田も「おばちゃん」だと言っていたが、その意味は、細かいところが気になる、かつ、自論を譲らないということだろうか。同じおばちゃんでも、そのこだわりはそれぞれ違う。 巨匠・野田に意見を言うのはなかなかおそれを知らない気もするが、完璧の美学を持つ人がいてもいいし、手こずることを愛する人がいてもきっといい。 『正三角関係』では三兄弟の生き方はそれぞれ違う。富太郎は花火を作り、威蕃は物理学者を目指し、在良は神に仕える者になる。また、富太郎の父殺しの裁判では不知火弁護士(野田秀樹)と盟神探湯検事(竹中直人二役)が無罪か有罪かで対立する。また、長澤まさみは、神に仕える生真面目な青年と、富太郎と父に取り合いされる奔放で妖艶なグルーシェニカという真逆に見える二役を演じ分ける。 3つの生き方や2項対立に世の摂理をうっすら感じると同時に、演劇界の神のような野田に向かって自論を臆することなく提案する松本の姿にもまた世界の一端が見えるような気がするのである。