ノーリーズンを追悼 「週刊Gallop」が訪ねた故郷ノースヒルズマネジメントで過ごした牧場時代
2002年に皐月賞を制したノーリーズンが7日、けい養先の福島県南相馬市の鹿頭ステーブルで死んだことが8日、分かった。25歳だった。公益財団法人ジャパンスタッドブックインターナショナルが8日に発表した。 人気ゲーム「ウマ娘」のキャラクターにもなった同馬は、栗東・池江泰郎厩舎から3歳を迎えた02年1月に京都でデビュー。新馬戦、こぶし賞と連勝し、抽選を突破して出走が叶った遅咲きの皐月賞馬の牧場時代を振り返る。 クラシック制覇からまもない同年4月28日号の「週刊Gallop」に掲載した「ノーリーズンの故郷 ノースヒルズマネジメントを訪ねて」を復刻する。 ノースヒルズマネジメントを訪ねて 単勝1万1590円。馬連5万3090円。 ハイレベルと言われた第62回皐月賞のこの結果を誰が想像できただろうか。 しかし史上まれにみる混戦を制したノーリーズン(牡3歳、父ブライアンズタイム、母アンブロジン、栗東・池江泰郎)の故郷ノースヒルズマネジメントにとって、彼の勝利はフロックではない、確かな〝理由があった″。 ◇ 「いやあ、大きなレースにうちの馬が出るときは、いつも事務所に集まって見るんだけどね。今回はみんな思い思いのところで見てたんだよ」。育成マネジャーの佐々木譲次さんが苦笑まじりにいう。「でも、直線で抜け出してきたときは、『行けっ、行けっ』ってだんだんテレビににじり寄っていったよ」とやわらかな笑顔に変わった。皐月賞を制したノーリーズンは15番人気という低評価だっただけに、やはり牧場でも半信半疑でレースを見ていたのかと思ったが、記者の「レコードのこの時計はまぐれでは出ませんよね」という軽率な発言に、「あたりまえだろ。まぐれで皐月賞を勝てるわけないじゃないか」とお叱りをいただいた。そう、ノーリーズンの勝利には牧場の期待と信念が込められていたのだ。 東京では夏日が観測され、夏を迎えようしているのに、北海道ではまだ桜も咲いていない。雪が解けて間もないため葉もつけきっていない木々は、例年になく早く春を終えてしまった本州からの来訪者から見ると寒々しくすら感じる。それでも、一歩足を山の中に踏み入れると、そこにはフキノトウが顔をだし、確かな春の到来を感じさせた。そんな新冠の山を登りつづけたところに、「日本一美しい牧場から、自家生産馬でGIを」という目標を掲げて開業したノースヒルズマネジメントがある。 その目標は平成10年ファレノプシスの桜花賞制覇で達成されたが、前田幸治社長のモットーである「Challenging Spirits」は妥協を許さない。ファレノプシスはその後、同年の秋華賞 12年のエリザベス女王杯とGI2勝を積み重ね引退、繁殖入りしたが、それからわずか1年5カ月後、今度は牡馬クラシック制覇で〝ノースヒルズ″の名を天下にとどろかせた。